2006年8月 7日 (月)

「素人が判断するのは馬鹿か」への返答

五月兎の赤目雑感中西批判の整理に対するコメントがなされていたが、どう返せばいいのか考えているうちになんだかドツボにはまってしまったので、まとまっていないがとりあえず何か書いておこう。

「素人が判断するのは馬鹿か」とのタイトルでもわかるように、疑問を呈する行為自体が馬鹿だと言ってしまうのはどうか、というのが主題のようだ。そして次のエントリ「コレステロールは高いほうが病気にならない というのは真理かトンデモか」ではその例題(のようなもの)を提示している。

うーん、確かに「素人が判断するのは自分の能力を過信した馬鹿の所業だよ」とは言った。しかし、それはたとえば「説得力があると思った」という判断までも否定したかったわけではない。もしそうなら、「ピアレビューをどの程度信用すべきか」で

もし私が中西氏だったらこう判断するだろう。

「確かに槌田説には説得力があるように思える。しかし専門家のピアレビューによると学会誌で公表するに値しない説のようだ。私には納得しがたいが、私は温暖化のメカニズムについて勉強したことがないしろうとである。ピアレビューが間違っている可能性はそれなりに留保しつつ、とりあえずは専門家の言うことを信用しよう」

と言ったことまで否定しなければならなくなってしまう。

じゃあいったい何を否定しているのか?と聞かれると答えるのがなかなか難しい。

現時点で答えるとするなら、「自分の思考について適切なメタ思考ができていないこと」とでもなるのだろうか。

「槌田説は説得力がある」「コレステロールは高いほうが病気にならないというのは説得力がある」というのはその説自体の真偽を別にすれば、そのように考えること自体はまあいいだろう。だが、この自分自身の判断と他者(専門家)の判断が比較されなかったり、あるいは比較されても適切に処理されなかったりといった不適切なメタ思考(この用語が適切かどうかちょっと怪しいが)が問題だ、ということになるのだろうと考えている。

素人が判断するのはいいだろう。だが、それが素人の判断に過ぎないことは自覚しておいて欲しいと思う。

また、素人が何らかの提言をするのも慎重にならなければいけないと思う。司法制度がおおむね正しく運用されてきていることを認知しておきながら、そのシステムのルールを逸脱してまで「彼は冤罪だと思うので再審すべきだ」などと主張するのはおかしいと思う。そのルール自体に問題があると主張したり、ルールの範囲内で主張する分には構わないと思うけれど。中西も「学会やあらゆる紙面、テレビ等は両方の意見に対して開くべき時と思っている」とまで書かなければ、そんな批判はされなかったように思う。最低限のチェック(ピアレビュー)を経た結果でなければほとんど考慮に値しないと考えるのが現代で確立されたシステムであり、それを中西が受け入れているのであれば、学会等に対してものを言うのではなく、槌田に対して「何が何でもピアレビューを通して論文にすべきだ」と叱咤激励すべきだったろう、自分がかつてそうしたように。それだったらたいした問題ではなかったのになあ。

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2006年7月19日 (水)

イリーナ博士講演の大本営発表

いろいろなところで物議を醸しているイリーナ博士だが、どうやら私の地元でも講演を行っていたそうだ。さすがに私は行けなかったが、先日主催者側からの発表があったので引用する。

この写真を見る

まあ予想したとおりの大本営発表であった。発行元のつくば・市民ネットワークは生活クラブ生協を母体とした政治的な団体のようだ。幻影随想のイリーナ博士東京公演レポートコメント欄を読むと、生協全てがこのような活動を支持しているわけではないということのようだが、これでうちの地域の生協が黒いことは確認できた。

報告されたデータの問題点については上記幻影随想の記事や松永和紀のアグリ話●「科学」の名に値しない遺伝子組み換え毒性試験(1)「科学」の名に値しない遺伝子組み換え毒性試験(2)ロシア人科学者の遺伝子組み換え毒性試験を総括に譲るとして、今回はこの報告を読んだ感想をいくつか書こう。

日本を含め多くの国で安全性を承認されている除草剤耐性の遺伝子組み換え大豆の摂取が、ラットの出産や子どもの成長に影響を与えた

まあそうなるのであろうな、主催者側から見たら。自分たちの主張に都合のいいデータなら実験の信頼性などどうでもよいのだろう。

同じような実験を他の研究者にも実施してほしいと何度も述べていました。

こんなずさんな実験はできないし、やろうにも実験条件が明らかにされていない(本人すらわからない)し、仮にまともに試験をしたとしても「条件が違う」とか難癖つけて終了の予感が。

沢山の質問が出ましたが、時間の関係で全ての質問に答えることは出来ませんでした。後日、つくば・市民ネットのホームページで回答を掲載する予定です。

松永氏によれば質問は事前に主催者側によって取捨選択されていたようだ。となると、主催者側に都合の悪い質問が選ばれなかったというのもうなずける話だ。答えられなかった質問は後日回答されるようなので、全ての質問に答えているかどうかを含めて、ワクワクテカテカしながら待つとしよう。

(追記:イリーナ博士の論文はこちらで読むことができる。論文とはいってもシンポジウムでの発表だからどんなデータでも言いたい放題。)

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2006年7月11日 (火)

中西批判の整理

ピアレビューをどの程度信用すべきかにTBが来たし、まだ書き足りない部分もあったので、今回は少し問題を整理し、何を問題にしており、何を問題にしていないのかを明確にしてみよう。

どうも今回の中西氏の言動は、たとえて言うなら「過去冤罪の被害にあった人が、冤罪を主張する犯罪者(実は真犯人)の手記を読んだだけで冤罪だと信じちゃった」という構造に近いであろうと思う(べつに槌田氏が犯罪者であるとか犯罪行為をしていると言っているわけではない、念のため)。

まずは、何を批判していないのかについて語ろう。ピアレビュー制度がときには異端排除という誤った行為を行ってしまうという指摘は、一般論としては正しい。また、中西氏がピアレビューについて何らかの提言を行ったとしても、それはべつに咎め立てするような類のものではないだろう。私は中西氏の一連の発言で信用を落としたと思っているが、だからといって中西氏がピアレビューについて何らかの提言をしたとしても、そのこと自体は構わないと思う。また、その中身についても私は特に否定的ではない。実行するうちに問題が出てくるかもしれないけれど、それに対する批判等はまた今回の話とは別個に議論されるべきだろうと思う。

では何を批判しているかというと、中西氏がピアレビュー制度を正しく運用していないことに尽きる(槌田論関連はさておき)。だいたいピアレビュー制度ってのは、専門的な知識を有しない人でも科学的仮説を評価できるように、その人に成り代わって別の専門家が評価する制度なんだから、程度問題はあれ、レビューアーを信用しないとピアレビューの意味がないのだ。異端論排除に使われるとか、レビューアーが時折過ちを犯すなんて織り込み済みの上で、それでも信用しないといけないのだ。だって、素人がレビューアーの判断が間違っているかどうかなんて判断できるわけないでしょ?たとえ専門家が間違うことがあったとしても、素人が判断するよりはましだからこそピアレビュー制度の価値があるわけでしょ?

実際、ピアレビュー制度を信用するかどうかを恣意的に判断することによってピアレビュー制度のニセ科学排除という機能が失われてしまうことは、今回の中西氏自身の言動がはっきりと証明している。彼女は素人である自分がレビューアーの判断が間違っているかどうか判断できるというカンチガイを犯したのだ。しかも素人なら誰でもできるというのではなく、自分だけには判断できるというカンチガイだ。

ピアレビュー制度の欠点を指摘するのは結構。でもそれをたてにとって「この問題はレビューアーは正しい判断をしている」とか「この問題はレビューアーは間違った判断をしている」とか素人が判断するのは自分の能力を過信した馬鹿の所業だよ。

中西氏がピアレビュー制度の欠点に直面してきたという事実はあるだろう。でも結局はそのシステムから逸脱することなく、きちんと手続きを踏んでここまで来れたんだから、言われているほど致命的な欠点ではないのだろうと思っている。

これまで環境問題、ひいては科学界に多く貢献してきた中西を馬鹿と呼ぶことに多少抵抗はあるけれど、たとえ相手が誰であれ、馬鹿なことを言ったら馬鹿にされても仕方がないと思っている。でないと、これまで斬ってきた馬鹿に対して申し訳がたたない気がするのだ。

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2006年7月10日 (月)

専門病院間で未熟児死亡率に差があるらしいが

子供も生まれたので、情報収集も育児方面に関する話題が多くなってくる。そんな中、毎日新聞にこんな記事が。

未熟児:死亡率に差…専門病院間で0~30% 厚労省調査

 出生体重が1500グラム以下の未熟児「極低出生体重児」の死亡率に、専門病院の間で、0~30%まで差があることが、厚生労働省研究班(分担研究者・楠田聡東京女子医大教授)の調査で分かった。平均死亡率は11%で欧米より低かったが、脳の出血や肺障害を起こす率も差が大きく、病院による治療法の違いで差が出た可能性がある。班は死亡率の低い病院の治療を普及させて、全国的な死亡率低下を目指す。

 研究班は、03年当時に国と都道府県から「総合周産期母子医療センター」の指定を受けていた42施設を調査。03年に治療した極低出生体重児について、治療法など80項目を聞いた。37施設から、同年生まれの極低出生体重児の約26%にあたる、2145人分のデータが集まった。うち1913人が退院し232人(11%)が死亡していた。

 各施設の死亡率を算出し、出生体重が低いと死亡しやすいことを考慮して修正すると、修正後の死亡率は0~30%までばらついた。楠田教授によると、死亡率0は、治療した人数が少ない施設での偶然とみられるが、患者数が多くても、死亡率が高い施設があった。

 肺が硬くなり、退院後も酸素投与が必要となりかねない病気「慢性肺障害」に陥る子の率は施設により0~75%、脳性まひなどにつながる「脳室内出血」を起こす率も0~50%と異なった。

 楠田教授は「専門施設間で、死亡率などがこれほど違うとは驚いた。各施設は国などから補助金を受けており、治療成績を示して向上させるのが義務だ。04、05年のデータも調べ、治療法の標準を作りたい」と話している。【高木昭午】

毎日新聞 2006年7月9日 3時00分

私はべつに専門家ではないのでこれに対して具体的に批判をしたりするつもりはないけれど、一般的に言って死亡率の差はそのまま病院の技量の差を反映しているとは限らないということは確認しておきたい。

例えば、重篤な患者が高次医療機関にされるような事態を想定すれば、それだけで死亡率に差が出てくる。そのような状況で単純に死亡率の低い病院の治療を普及させると、かえって全体的には死亡率が上がってしまう可能性もある。

データをとって統計的に見るという手法はそれなりに有効な場合もあるけれど、その意味をしっかり把握しないと、数字が一人歩きしてしまってかえって不合理な選択をしてしまう可能性もあるので注意したいところだ。

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2006年6月30日 (金)

三角魔法陣

昨日フジテレビのたけしのコマネチ大学数学科という番組で紹介されていた問題。正式名称はわからない。アインシュタインがどうこうってのは言っていたような。息抜きにドゾー。

Photo

上の図の中にある7つの三角形について、3つの頂点を合計した数字が全て同じになるようにaからiに1から9までの数字を入れなさい。

応用問題:上の条件を満たす数字の組み合わせは何通り存在するか。

応用問題の答えは下の方に白文字で書いてあります。解法は・・・リクエストがあったら書きます。

応用問題の答え:24通り

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2006年6月12日 (月)

毎日新聞の間違い

今更の話だが、毎日新聞の記事に間違いを見つけたので報告。

温室効果:1億年前の大西洋、熱めのお風呂なみ?2006年2月18日 (土) 毎日新聞

大西洋の熱帯海域の表面温度が、8400万~1億年前には最高で熱めのお風呂なみの42度に達していたとの推定を米ウッズ・ホール海洋学研究所(マサチューセッツ州)の研究者グループが17日発表した。

高温化の要因の一つは現在の約3.4~6倍あった大気中の二酸化炭素(CO2)濃度という。今回の推定に基づけば、現在の地球温暖化予測モデルはCO2の温室効果を過小評価しており、温暖化が予想より急激に進行する可能性もあるとしている。

同研究所のカレン・バイス研究員らは、南米スリナム沖の海底から03年に採取した堆積(たいせき)物に含まれる有機物や微生物の化石の化学組成を分析。同海域の当時の表面温度は33~42度(現在24~28度)で、大気中のCO2濃度は1.3~2.3%(同0.38%)だったと推定した。

バイス研究員は「推定値が正しいとすれば、現モデルは、CO2濃度が1%以上増加した場合の温室効果を過小に見積もっている可能性がある」と指摘している。

現在のCO2濃度が0.38%ってことはないだろ。380ppmだとして、0.038%だな。

元ネタはこちら

They were 1,300 to 2,300 parts per million (ppm), compared with 380 ppm today.

桁が間違ってるよ。だれも気付かなかったの?毎日新聞の中の人たち。

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2006年6月 7日 (水)

胎教:我が家の場合(1)

昨日の記事で胎教には科学的根拠が乏しいということを書いた。しかしながら、これは胎教に意味がないとか、胎教を行うべきではないということではないということも書いた。科学的根拠が乏しいというのは、胎教を行っても効果があるかどうかはわからないということであって、胎教を行っても効果がないということではないからだ。ひょっとしたら実は効果があるかもしれないし、その効果に対する科学的検証が行われて効果があると判断されるかもしれない。確実な予測が成り立たない以上、どうするかはギャンブル的要素を含むことになる。ただし、ギャンブルとは言ってもできるだけ期待値が高い方に賭けたいので、これまで得られた情報を最大限に活用して判断するということになる。今回は我が家の事例を紹介しよう。

まず判断する要素とそれに対する評価を列記しよう。

1.胎教の効果がどの程度見込めるか

ここでいう胎教の効果とは、胎教を行うことによって脳の発達など、胎児に良い影響がみられるかどうかを指す。胎児が影響を受けるのだから、胎児の五感が胎教による刺激を受け取ることができなければならない。胎教に関係ありそうなのは視覚、聴覚、触覚だ。視覚は明るさを感じるくらいはできるようだが、物を識別したりはできそうにない。「お腹の赤ちゃんは外の景色を見ることができるのではないか」ってのはありそうにもない。聴覚は妊娠後期には完成に近い形をとるようだ。ただ人の声を言語として認識するってのは難しいだろう。声色を覚えていたりはするかもしれないが。英語を聞かせると英語耳ができるってのはかなり怪しいように思う。おなかを叩いたりすることによる触覚の刺激はあるのかもしれない。ただ、それが教育につながるかどうかは少々怪しい。まとめると、音楽や話しかけによって聴覚が刺激されて脳の発達を促すってのはひょっとしたらあるかもしれない、といったところか。

2.胎教にかかるコストはどの程度か

一般的なのは胎教用CDあたりか。既に持っている音楽ならほとんど金銭的コストはかからない。時間的コストは結構かかるが、妻はヒマそうなのでよしとする。

3.胎教にかかるリスクはどの程度か

よほど変なことをしない限りリスクはほとんどないように思える。

4.副次的な効果はあるか

子どもとコミュニケーションがとれる(気になる)。子どもがいるという実感がわく。

といったところか。

総合的に考えると、正直あまり効果は期待できないけれど、別にお金がかかるわけではないし(お金がかかるのはやらない)、リスクもなさそうだし、なにより反応があるような場合はおもしろいので、適度に音楽を聴かせたり話しかけたり叩いて反応を見たりということをやっている。個人的な感触では、胎教は子どものためというよりも、親のための行為という面が大きいような気がしている。

(2006/6/29追記:理論に対する確からしさの判断は数少ない情報に基づく個人的な判断であり、専門領域における実情をあらわしていない可能性があります。)

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2006年6月 6日 (火)

胎内記憶と胎教の科学的根拠

早いもので、妊娠していた妻ももう8ヶ月になる。妊婦仲間では胎教なるものが行われているとのこと。

胎教ねえ、科学的に見てどうなのよ?なんて考えていたら、胎内記憶に関する記事が。

胎内記憶:幼児の3割が鮮明に語り 横浜の産婦人科医が調査(毎日新聞)

要約すると、幼児には胎内記憶がある可能性があり、親子で語り合って絆を深めて欲しい、というもの。

要約してわかるのは、前段と後段が繋がらないってこと。べつに親子の絆を深めるのに胎内記憶云々は関係ないと思うが。

調査を行っている横浜市の産婦人科医、池川明さんは調査を始めるきっかけについてこのように話している。

 池川医師が胎内記憶に関心を持ち始めたのは7年前、助産師から小学1年の孫が書いた作文を見せられてからだ。作文には「ぼくがおかあさんのおなかにいるときに、ほうちょうがささってきて、しろいふくをきためがねのひとにあしをつかまれて、おしりをたたかれました。こんどはくちにゴムをとおしてきて、くるしかったのでないてしまいました」とあった。

そりゃ偽記憶じゃないの?

似たような経験を同じ毎日新聞の元村有希子記者が理系白書ブログに書いている。

私は物心ついてからそんなことを聞かれた覚えがある。
そのときには、親から吹き込まれた新たな記憶が加わってしまっていて、自分でも覚えているのか、教わったのか分からなかった。
「おへその穴からお父さんが見えた」みたいなストーリーだったと思うが、これは胎内記憶ではないだろう。

どうやらこの医師よりもこの記者の方が理系的センスが良さそうだ。

胎内記憶に関するこの記事の評価はこちらが詳しいので、簡単にしよう。人間の脳は胎児期にはほとんど完成しているし、聴覚のような感覚器官は8ヶ月程度で完成するようだ。機能的な面から言えば、胎児や誕生のときの刺激が脳に何らかの影響を及ぼす可能性は否定できないが、それが具体的な記憶となっているとはきわめて考えにくいだろう。

さて、話を胎教に戻そう。胎教は、胎児のときに良い刺激を与えてあげることによって脳に良い影響を及ぼす、という説の上に成り立つ行動だ。注意しなければいけないのは、胎児が刺激を受けるだけでは胎教にならない、ということだ。脳に影響がなければいけないし、しかもそれが良い影響でなければいけない。

まずは、一般の妊婦の意識についてみてみよう。

胎教、赤ちゃんに通じた?

・こちらの話していることがわかっているような気がした。(京都・34歳)

・毎日話し掛けていると、呼びかけによって胎動が起こることがよくある。(滋賀県・38歳)

・胎動のあとにポンとお腹を叩くと、すぐに反応があった。感動した。(京都・32歳)

・いつも聞いている音楽を聴くと、胎動が激しくなるような気がする。(宮城県・31歳)

それって単なる気のせいでは・・・

仮にお母さんからの刺激による反応だったとしても、その刺激によって脳に良い影響がなければ教育とは呼べないわけで。たとえば、急に耳に息を吹きかけられたらビクッとするけれど、それを続けたからといって教育とは呼べないのと同様。確かに胎児からの反応があれば感動はするけれど、それは単なる親の自己満足に過ぎないかもしれないってことを自覚しておかなければならない。

さらに、胎教に関する科学的な言及がないか調べてみると、産婦人科デビュー.comなるサイトを発見。ここでは「科学的に解明されてきた『胎教』の重要性。」などと謳っている。

その中身はというと・・・

最近の産婦人科では、4D超音波エコーでお腹の赤ちゃんの映像を、お母さん自身でも見られるようになってきました。口や手足を動かしたり、外からの音に驚いて両手をパッと広げたり、指を吸ってみたり、少し笑っているのでは?と思うような映像も見られるのです。それは間違いなく、お腹の赤ちゃんが立派に“心”を持ち始めて、一人前になっていることを意味しています。

外からの音に驚いて両手をパッと広げたり、ってのはただの反射ではないのか。べつに胎児は“心”を持っていないなどと言うつもりはないが、一人前というのは明らかに言いすぎだろう。

他にはこんな説明も。

“お腹の赤ちゃんは外の景色を見ることができるのではないか”と思わせる事例が多数あります※。お母さんと赤ちゃんはへその緒でつながっているので、お母さんの感覚器を通じて電気信号のような形で映像が伝わっているのかもしれません。


■赤ちゃんがお腹にいる時、花を指さして「キレイなお花ねー」と話しかけていたが、1歳半になった頃、何も教えていないのに花を指さしてキレイというようになった。

花がキレイだという感覚は胎教によるものなのか。ってことは、任意のモノに対して「キレイな○○ねー」と話しかけていれば、子どもは○○を指さしてキレイというようになるのだろうか。なんか無性に試してみたくなってきた。

結局のところ、科学的に見て解明されてきたと言えそうなのは

『脳の受け皿』は生後6ヶ月までに決定してしまうという研究発表があります。例えば、英語のある発音を生後6ヶ月までに聞かなかった場合、それ以降はその発音に反応できない、ということがあるのです。「え!生後の6ヶ月間しかないの?」と思わないでくださいね。妊娠3ヶ月くらいから胎児の脳の中に記憶した痕跡のようなものが見られたりします。すなわち、お腹にいるときから赤ちゃんの脳は“受け皿の用意”をはじめているわけですから、お腹の中にいる時間も含めると十分『脳の受け皿』の用意をすることができます。

という程度のものだけだった。これにしても、この研究発表にどの程度の信頼性があるかは不明だし、仮にこの説が正しいにしても、胎児に教育を施すことによって『脳の受け皿』にどのような影響を及ぼすのかはまだまだ不明な点が多い。この程度の証拠で、

明るい!元気!天才!人から好かれる!育てやすい!・・・『胎教』は、必須項目。

などというキャッチコピーでネズミさんたちの広告に誘導するってのはいかがなものか。

もうおわかりだろう。結局は

※この情報ページはワールドファミリー株式会社の提供で産婦人科デビュー.COMが取材・ページ作成いたしました。

こういうことだ。

べつに科学的根拠に乏しいからといって、胎教に意味がないとか、胎教グッズを買ってはいけないなどと主張するつもりはない。たとえ裏付けがなかったとしても、胎教の効果の確からしさと胎教に費やすコスト等を天秤にかけて判断するのであれば、どのような選択であってもそれなりに合理的な判断だと言えるだろう。ただし、そのためには効果の確からしさをできるだけ正確に見積もらなければならない。そのためには、情報がしばしばコマーシャリズムによって歪められていることに気を配る必要があるだろう。

( 追記:ここでとりあげたように、科学的根拠が薄いにもかかわらず、科学的に証明されたかのような表現を用い、体験談と組み合わせて、特定の商品が効果があるかのように錯覚させ、購入するよう誘導するという手法は、いわゆるバイブル本商法に極めてよく似ている。昨年摘発されたアガリクスのように薬事法違反に問われるわけではなく、死亡例などの実質的被害が出るわけでもないのでさほど大問題にはならないかもしれないが、摘発の危険性が少ない分かえって悪徳業者の参入の余地があり、金銭的被害は今後増加するかもしれない。)

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2006年5月29日 (月)

北極圏の観測態勢

今日はNatureからの拾い読み。
なんでも、2007-08年はおよそ25年ごとに回ってくる国際極年(International Polar Year)なんだそうだ。第1回は1987年、第2回が1932年、1957年が国際地球観測年となっている。1980年代が抜けているのは冷戦の影響だろうか。
極年っていうネーミングはなんだかすわりが悪い気がするが、どうやら昔からそういう名前になっているようで、今更変えるというのも難しいのだろう。
さて、冷戦の終局も受け、来る極年に向けて北極圏を囲む8カ国(アメリカ合衆国、カナダ、ロシア、デンマーク、アイスランド、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド)が共同による調査を計画しているとのこと。比較的研究が進んでいる南極と比較すると、北極域での研究は遅れており、様々な成果が期待できよう。
その一方で、長期的な観測態勢に暗雲が・・・
予算の都合から自動観測態勢にほころびが見えてきているようだ。
細く長い観測か、手広く短い観測か。
研究費の配分はさじ加減が難しい。

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2006年5月26日 (金)

透明マントを作る方法

なんだかだいぶ久しぶりの投稿となってしまった。

今日のネタはこれ。

「透明マント作れます」英の学者ら開発理論

 英米の科学者らが26日、米科学誌サイエンス電子版に、「物体を見えなくする素材の開発は可能」とする論文を発表した。

Click here to find out more!

 この理論を基に開発が進めば、小説「ハリー・ポッター」に登場する透明マントの作製も夢ではなくなりそうだ。

 光は普通、物体に当たって反射したり散乱したりするため、人間は物体を見ることができる。

 英セントアンドリュース大のレオンハルト教授らによると、光の進む方向を制御できる特殊な微細構造を持つ複合素材を開発できれば、川の水が丸い石に妨げられず滑らかに流れていくように、光が物体を迂回(うかい)して進む。

 この場合、人間の目には、そこには何もないように見え、影もできない。

 教授らは、手始めに特定の波長に対する“不可視性”を持つ素材の開発に挑むという。透明マントが実現すれば、軍事技術として利用できるため、研究は米国防総省が支援している。

(2006年5月26日14時49分  読売新聞)
透明になる方法ってのはSFでよく使われる。攻殻機動隊やらプレデターやらハリーポッターやら。ハリーポッターはSFじゃないか。中でも私が真っ先にイメージしたのはステルス迷彩
軍隊で使用するというのはいかにもありそうだ。実際、軍も支援しているようだし。また、全く見えなくなるのではなく、少しだけ歪んで見えるあたりもなんだかそれっぽい感じでよかった。
理論はさっぱりわからないが、これって本当に実現するの?

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