五月兎の赤目雑感で中西批判の整理に対するコメントがなされていたが、どう返せばいいのか考えているうちになんだかドツボにはまってしまったので、まとまっていないがとりあえず何か書いておこう。
「素人が判断するのは馬鹿か」とのタイトルでもわかるように、疑問を呈する行為自体が馬鹿だと言ってしまうのはどうか、というのが主題のようだ。そして次のエントリ「コレステロールは高いほうが病気にならない というのは真理かトンデモか」ではその例題(のようなもの)を提示している。
うーん、確かに「素人が判断するのは自分の能力を過信した馬鹿の所業だよ」とは言った。しかし、それはたとえば「説得力があると思った」という判断までも否定したかったわけではない。もしそうなら、「ピアレビューをどの程度信用すべきか」で
もし私が中西氏だったらこう判断するだろう。
「確かに槌田説には説得力があるように思える。しかし専門家のピアレビューによると学会誌で公表するに値しない説のようだ。私には納得しがたいが、私は温暖化のメカニズムについて勉強したことがないしろうとである。ピアレビューが間違っている可能性はそれなりに留保しつつ、とりあえずは専門家の言うことを信用しよう」
と言ったことまで否定しなければならなくなってしまう。
じゃあいったい何を否定しているのか?と聞かれると答えるのがなかなか難しい。
現時点で答えるとするなら、「自分の思考について適切なメタ思考ができていないこと」とでもなるのだろうか。
「槌田説は説得力がある」「コレステロールは高いほうが病気にならないというのは説得力がある」というのはその説自体の真偽を別にすれば、そのように考えること自体はまあいいだろう。だが、この自分自身の判断と他者(専門家)の判断が比較されなかったり、あるいは比較されても適切に処理されなかったりといった不適切なメタ思考(この用語が適切かどうかちょっと怪しいが)が問題だ、ということになるのだろうと考えている。
素人が判断するのはいいだろう。だが、それが素人の判断に過ぎないことは自覚しておいて欲しいと思う。
また、素人が何らかの提言をするのも慎重にならなければいけないと思う。司法制度がおおむね正しく運用されてきていることを認知しておきながら、そのシステムのルールを逸脱してまで「彼は冤罪だと思うので再審すべきだ」などと主張するのはおかしいと思う。そのルール自体に問題があると主張したり、ルールの範囲内で主張する分には構わないと思うけれど。中西も「学会やあらゆる紙面、テレビ等は両方の意見に対して開くべき時と思っている」とまで書かなければ、そんな批判はされなかったように思う。最低限のチェック(ピアレビュー)を経た結果でなければほとんど考慮に値しないと考えるのが現代で確立されたシステムであり、それを中西が受け入れているのであれば、学会等に対してものを言うのではなく、槌田に対して「何が何でもピアレビューを通して論文にすべきだ」と叱咤激励すべきだったろう、自分がかつてそうしたように。それだったらたいした問題ではなかったのになあ。
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