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2006年7月11日 (火)

中西批判の整理

ピアレビューをどの程度信用すべきかにTBが来たし、まだ書き足りない部分もあったので、今回は少し問題を整理し、何を問題にしており、何を問題にしていないのかを明確にしてみよう。

どうも今回の中西氏の言動は、たとえて言うなら「過去冤罪の被害にあった人が、冤罪を主張する犯罪者(実は真犯人)の手記を読んだだけで冤罪だと信じちゃった」という構造に近いであろうと思う(べつに槌田氏が犯罪者であるとか犯罪行為をしていると言っているわけではない、念のため)。

まずは、何を批判していないのかについて語ろう。ピアレビュー制度がときには異端排除という誤った行為を行ってしまうという指摘は、一般論としては正しい。また、中西氏がピアレビューについて何らかの提言を行ったとしても、それはべつに咎め立てするような類のものではないだろう。私は中西氏の一連の発言で信用を落としたと思っているが、だからといって中西氏がピアレビューについて何らかの提言をしたとしても、そのこと自体は構わないと思う。また、その中身についても私は特に否定的ではない。実行するうちに問題が出てくるかもしれないけれど、それに対する批判等はまた今回の話とは別個に議論されるべきだろうと思う。

では何を批判しているかというと、中西氏がピアレビュー制度を正しく運用していないことに尽きる(槌田論関連はさておき)。だいたいピアレビュー制度ってのは、専門的な知識を有しない人でも科学的仮説を評価できるように、その人に成り代わって別の専門家が評価する制度なんだから、程度問題はあれ、レビューアーを信用しないとピアレビューの意味がないのだ。異端論排除に使われるとか、レビューアーが時折過ちを犯すなんて織り込み済みの上で、それでも信用しないといけないのだ。だって、素人がレビューアーの判断が間違っているかどうかなんて判断できるわけないでしょ?たとえ専門家が間違うことがあったとしても、素人が判断するよりはましだからこそピアレビュー制度の価値があるわけでしょ?

実際、ピアレビュー制度を信用するかどうかを恣意的に判断することによってピアレビュー制度のニセ科学排除という機能が失われてしまうことは、今回の中西氏自身の言動がはっきりと証明している。彼女は素人である自分がレビューアーの判断が間違っているかどうか判断できるというカンチガイを犯したのだ。しかも素人なら誰でもできるというのではなく、自分だけには判断できるというカンチガイだ。

ピアレビュー制度の欠点を指摘するのは結構。でもそれをたてにとって「この問題はレビューアーは正しい判断をしている」とか「この問題はレビューアーは間違った判断をしている」とか素人が判断するのは自分の能力を過信した馬鹿の所業だよ。

中西氏がピアレビュー制度の欠点に直面してきたという事実はあるだろう。でも結局はそのシステムから逸脱することなく、きちんと手続きを踏んでここまで来れたんだから、言われているほど致命的な欠点ではないのだろうと思っている。

これまで環境問題、ひいては科学界に多く貢献してきた中西を馬鹿と呼ぶことに多少抵抗はあるけれど、たとえ相手が誰であれ、馬鹿なことを言ったら馬鹿にされても仕方がないと思っている。でないと、これまで斬ってきた馬鹿に対して申し訳がたたない気がするのだ。

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