槌田敦「CO2温暖化説は間違っている」を読む(4)
ニセ科学としての槌田温暖化人為説否定論
理論に対する具体的な批評は前回で終わりにして、今回はニセ科学批判という見地から槌田論を論じる。
「科学ではないのに科学を標榜しているもの」には疑似科学、ニセ科学、トンデモなどいろいろな呼び方があるのだが、今回は菊池誠氏の使用法に従ってニセ科学を用いることにする。
まずは、ニセ科学(疑似科学)がいったいどのように定義されているのかをみてみよう。
Wikipediaの疑似科学の項では、
疑似科学(ぎじかがく)は英語Pseudoscienceの訳語である。学問、学説、理論、知識、研究等のうち、その主唱者や研究者が科学であると主張したり科学であるように見せかけたりしていながら、科学の要件として広く認められている条件(科学的方法)を十分に満たしていないものを言う(例えば、科学的方法をとっていないため科学雑誌への論文投稿が認められない、そのため査読も経ていないものなど)。これらが、科学であるかのように社会に誤解されるならば、そのことが問題であると言われる。
とされている。また、松田卓也氏によると、
私は現代の正統科学とは、科学的な方法論、科学的な作法、マナーに則って行われるものであると定義します。どういうことでしょうか。それはひとつには発表の方法にあると思います。
科学者は研究して、一定の成果を得られるとそれを論文に書きます。そして「レフェリー」のある、いわゆる「権威ある学術雑誌」に投稿します。レフェリーは普通は、その分野の権威者や、その問題をよく知っている人から、雑誌の編集者によって選ばれます。匿名のレフェリーは、その論文が、間違っていないか、新しい知見があるか、発表する価値があるか、といった観点から評価します。そして、その論文が、そのまま発表できる、小修正すれば発表できる、発表するためには大きな修正を必要とする、他の雑誌に投稿すべき、発表の価値がない、などの結論を下します。レフェリーの数は一名ないし二名です。二名の場合、両者の意見が一致すればよいのですが、そうでない場合、編集者の要請で第三のレフェリーが任命されることもあります。
このようなレフェリーの意見は論文の著者に返送されます。そのまま出版とか、小修正の場合は大した問題はないのですが、大修正とか出版の価値なしと認められた場合は、著者とレフェリーの論争になります。編集者が適切な判断を下す場合と、決定に全然タッチしない場合があります。著者はレフェリーの意見に納得できないときは、レフェリーの交代を要求したり、あるいは論文を取り下げて他の雑誌に投稿することもできます。(中略)
このようなレフェリー制度をピアーレビューといいます。同僚評価と訳されています。現代科学の方法論、マナーとは、まさにこの同僚評価制度にあるのです。同僚評価制度を通らないで、科学的主張をすると、科学者の間で正統な認知を得られません。疑似科学はこのシステムに乗っていないのです。
となる。どちらにしろ、科学の要件が成り立つための方法論を満たしているかどうか、特に査読(ピアレビュー)制度を経ているかどうかが正統な科学とニセ科学とを分ける判断材料となるであろう。
ではなぜピアレビュー制度が重要なのだろう?それは、第三者が評価し、検証することによって論理的な間違い、データの不備などの誤りが排除されるからだ。一方、一般書はというと、そのようなチェックを受けることはない。専門に詳しくない一般書の想定読者が誤りを見つけるのは難しい。その結果、誤りを含んだ説が世間に広まることになる。
そういった観点から槌田温暖化人為説否定論を評価してみよう。いわゆる槌田説は一般書や学会、Web上での発表はあるものの、これまで一度も査読付きの論文として掲載されたことはない。槌田はこれに対して
CO2温暖化説に批判的な論文は定評ある学術誌には掲載されない
p136
としているが、実際はそうではなく、これまで見てきたような根本的な誤りがあるから掲載されないだけだ。ただ残念なことに中西準子はこれを真に受けちゃったようで、自身のホームページでこれを「学会誌の問題点」としてしまっている。
確かに、既存のパラダイムに合致しない説は論文として掲載されにくいという傾向はある。これは前述の松田氏も指摘している。
科学者はさまざまなパラダイムのもとで研究をしています。ですから投稿された論文がパラダイム、定説に反する場合には、拒否反応が起きてリジェクトされやすくなります。実際、ノーベル賞を取ったような画期的な論文が拒否された例はいくらでもあります。
しかし、話はそれで終わらない。
これらの例は定説に反する説ですが、唱えた人たちは、きちんとした科学的訓練を受けた立派な科学者で、しかもその説は、レフェリーのある論文に掲載されて、世界中の科学者の検証を受けています。上記の例は現在でも多くの支持を集めていないので、多分間違いでしょう。しかし私が強調したいことは、これらは異端の科学とよぶべきで、疑似科学ではありません。
つまり、定説に反するけれども科学の作法はしっかり踏まえた異端の科学と、定説に反するだけでなく科学の作法すら守られないニセ科学が存在するということだ。
では、これらを区別する基準というのは存在するのだろうか。おそらくこの2つの境界にはグレーゾーンが存在し、それらをはっきりと分けるのは困難だろう。しかし、典型的な異端の科学とニセ科学を見分けることは不可能ではないはずだ。それを見分けるための傾向としては、例えば以下のようなものが挙げられる。
1.自分を天才だと考えている。
2.仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
3.自分は不当にも迫害され差別されていると考えている。
4.もっとも偉大な科学者や、もっとも確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという強迫観念がある。
5.複雑な専門用語を使って書く傾向がよく見られ、多くの場合、自分が勝手に創った用語や表現を駆使している。
マーティン・ガードナー「奇妙な論理」より
その他には、既存の説を熟知しているかどうか、またピアレビュー制度などの現在の科学の作法について理解を示しているかどうか、陰謀論を用いているかどうか、あたりだろうか。当然のことだが、既存の説を熟知しなければそれに対抗しうる新説を提出することはできない。既存の説を熟知せずに反論するのは「地球が丸いという説は間違っている。なぜなら、地球が丸いとするならば、地球の裏側にいる人は下に落っこちてしまうはずだからだ」のような主張を行うのに等しい。また、異端の科学の提唱者はピアレビュー制度に悩まされながらもそれを否定することなしに、その制度に則って根気強く挑戦し、最終的には成功している。ニセ科学者は自説が受け入れられない原因を自説の不備には求めず、自説を否定する他人に求めるので、ピアレビュー制度に拒否反応を示し、また自説を否定する動機として陰謀論を持ち出してくる。
では、これらニセ科学(者)によくある傾向に槌田氏および槌田説がどの程度合致するか5段階で評価してみよう。
- 自分を天才だと考えている。
天才だとは言っていないが、文章の端々にそのようなニュアンスは見られる。4か。
- 仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
仲間たちってのは自分以外の研究者ってことか。間違いなく5。
- 自分は不当にも迫害され差別されていると考えている。
「全体主義がはびこり、主流に反対を唱えると強烈な反対に遭う。ファシズムだ」と言っている。5。
- もっとも偉大な科学者や、もっとも確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという強迫観念がある。
槌田はCO2温暖化説だけでなく、オゾンホールフロン原因説やゴミのリサイクルなど確立された理論を攻撃している。5。
- 複雑な専門用語を使って書く傾向がよく見られ、多くの場合、自分が勝手に創った用語や表現を駆使している。
「空冷と水冷の地球エンジン」などというオリジナル用語を使う。ただし頻度は多くないし、まるでデタラメという訳でもないので3。
- 既存の説を熟知していない
これまで見てきたように全く熟知していない。5。
- ピアレビュー制度などの現在の科学の作法について理解を示していない
「学問を殺す閲読制度」などと評している。5。
- 陰謀論を用いている
「温暖化説の仕掛け人は原発業界」と、温暖化で得をするという理由のみから原発業界の陰謀であると根拠のない主張を行っている。5。
以上のように、多くの点で槌田氏の言動はニセ科学者の言動と同じような傾向を示すことが分かる。超能力のように反証不可能性の性質を持つような説ではないが(それゆえすでに反証されまくっている)、かえってそれが正統な科学っぽさを醸し出しているのかもしれない。
結論としては、槌田氏あるいは槌田論はほぼ間違いなくニセ科学(者)に分類して差し支えない。槌田氏本人は自分が異端の科学者であることを自称し、異端が迫害されていると訴え、異端を擁護するよう主張している。科学者の中にはそれに同調する向きもある。でも、槌田論はこれまで見てきたように明らかにニセ科学であり、異端の科学ではない。異端の科学とニセ科学ははっきりと区別すべきだ。
確かに現在の科学のシステムは完璧じゃないし、それを担っている科学者の中には異端を排除するような動きをとる人もいるだろう。そういった点はできるだけ改善すべきだろう。でも、たとえそういった欠点があったとしても、現在の科学のシステムを否定するのは得策ではない。完璧ではなくても、現状で我々がとりうる方法としては最善の手法なのだ。そのシステムがあるからこそ、素人では判別できない科学的仮説の確からしさの順位付けを行うことによって、明らかに間違っている説をふるい落とすことができるのだ。間違って正しい説もふるい落とされることはあるけれど、その割合はそんなに高いものじゃない。高そうに見えるのは、ふるい落とされた説の論者が自分の間違いに気付かずにそう吹聴しているからだ。また仮に間違ってふるい落とされたとしても、ちゃんとした証拠を集めてちゃんとした発表をしていればいつかどこかで誰かが拾ってくれる。現在の科学のシステムを否定することによってニセ科学がはびこることはあっても、異端の科学が報われるってことはほとんどないだろう。
他にも書きたいことはあると言えばあるが、あまり冗長になっても仕方がないので、ひとまずこのくらいで槌田敦「CO2温暖化説は間違っている」を読むシリーズを終わりにしようと思う。必要に応じて小ネタを取り上げるかもしれませんが。
この本が出た当初は正直ここまで関わる価値すらないと無視していたが、環境界の大御所が好意的に取り上げるの見て、社会への影響が無視できなくなるだろうと予測し、一連のレビューを書き上げた。参考になれば幸いだ。
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コメント
わたしは自分からは「ニセ科学」ということばを使いたくありませんが、最近の槌田さんの気候変化に関する議論についてのhechikoさんの評価には基本的に賛成します。
ただ、それを読んだかたが、むかし槌田さんが言い出したエントロピー資源論もニセ科学だと早合点されると(少なくとも気候学者かつエントロピー資源論者であるわたしとしては)困るので、その点コメントしておきます。1978年に「科学」に3回連載で出された「資源物理学の試み」や、1982年にNHKブックスで出た「資源物理学入門」などは、ピアレビュー雑誌の論文ではありませんが、まともな科学だと思います。地球の大気水圏のエントロピー循環に関する大局的な議論は今から見てもまちがっていません。また、アカデミックな地球科学者による教科書、榧根勇(1980)「水文学」(大明堂)でも参考文献としてあげています(槌田さんが大嫌いなネゲントロピー論といっしょにしてですが)。
このように地球科学者からの評判は悪くなかったと思うのですが、槌田さんの正面のピアである物理学者の多数からの評判は悪かったかもしれません。槌田さんは、ネゲントロピーという用語を使ってはだめだと言うとか、陸上植物の光合成にとって光は低エントロピー資源でないと言うなど、今のわたしから見ると用語を翻訳しなおしさえすれば同じことを言っていた相手にまで強硬に反対したので、hechikoさんのニセ科学者度3くらいまでは行っていたと言えるでしょう。しかし、物理学者のうちに核融合に将来の資源として期待をかける人が多かった時代に、まっこうからそれはムダで危険なだけだと言ったことには、いい意味の「異端の科学者」の面もあったと思います。
そして、同じ時代に、中西準子さんは、大規模下水道は資源のむだづかいで環境改善に貢献しないと主張し、土建業界との結びつきが強くまた大きいことはいいことだと思いがちだった当時の水処理工学者の中で異端になっていました。中西さんにとって、混ぜたものを分けるのはたいへんだというエントロピー論は頼りになる基礎理論だったと思います。中西さんが槌田さんのいうことなら信用できると思ってしまったのも、歴史的に考えると無理もないかもしれません。
最近の槌田さんが温暖化のメカニズムを否定しようとする議論(hechikoさんが論評を省略された部分)は、現在の気象学の知見から見てまちがっていますが、反論しようとすると、気象学の教科書を順に説明したほうがよくなってしまいます。(しかし、教科書のうちには、理屈でなく、現にそうなっているし数値モデルでも再現できるという根拠で議論を進めている部分もあるので、理屈屋を完全に納得させるのは困難です。)
槌田さんがそういう考えに至った理由を想像してみると、おそらく、さきほど「大局的には正しい」と述べた地球大気の理解に自信をもちすぎたのだと思います。気候変化は気候があるかないかではないので、第1近似では省略される要素を含めた第2近似を考える必要があります。ところが槌田さんの議論は、たとえば、対流圏の温度は対流(槌田さんのいう「水冷・空冷」)で決まり放射は重要でないこと(これは正確ではないが第1近似として正しいと言えなくもない)を根拠に、対流圏の温度の変化を考える際も放射の変化は効かないと決めてかかっているように思われます。
投稿: macroscope | 2006年7月 7日 (金) 18時52分
詳しいコメントをありがとうございます。トンデモ学者は初めからトンデモだったかというと必ずしもそうではなく、異端の科学者から転んだ人や、一旦は輝かしい業績をあげながら最後に転んでしまう人も結構な数で存在します。槌田氏の初期の活動については追っていないのでなんとも評価のしようがありませんが、槌田氏がmacroscopeさんの言うような経緯を辿ったということは十分ありそうなことだろうと考えています。
中西氏と槌田氏の関わりについても初耳でした。
で、今私が危惧しているのはなにかというと、「中西氏が転ぶ」ことです。
投稿: hechiko | 2006年7月11日 (火) 18時49分
私は槌田氏のファンですけど、槌田氏は。昔から変であって欲しいと願っています。だからmicroscopeさんの説は正しいかもしれませんが、私の偶像を破壊するものです。
>
hechikoさんの引用した「ニセ科学者を見分ける基準」
3.自分は不当にも迫害され差別されていると考えている。
4.もっとも偉大な科学者や、もっとも確立されている理論に攻撃の的を絞りたいという強迫観念がある。
槌田氏に、この傾向は昔から強くあったと思います。例えばmacroscopeのおしゃる核融合論争です。この時、槌田氏は不当に迫害されたと言っています。核融合論争も、たまたま槌田氏の説が正しかっただけでは? 競馬の予想じゃないんだから、結論だけ正しくてもダメでしょう。
>
また槌田氏の原発反対理論はニセ科学として、あちこちで叩かれています。私は「原発は危険」という結論だけは、槌田氏に同意します。
投稿: おおくぼ | 2006年7月17日 (月) 23時44分
槌田批判を拝見しました。
(1)と(2)については、とりわけ(2)については、説得力ある説明ですね。気象相談室のコメントもあり、長期変動を除いた後の動きが気温変化→CO2濃度変化であろうと見て取れます。
しかし、(4)は槌田論文が「日本物理学会誌」2007年2月号に乗ってしまったゆえ、今となってはちょっと「恥ずかしい」論調ではないでしょうか?
貴兄には、2007年2月に発刊された”Unstopable Climate Change every 1500 years"を是非「批判」して頂ければと思います。
投稿: pekoh | 2007年3月17日 (土) 13時35分
http://env01.cool.ne.jp/global_warming/report/tutida02.pdf
この槌田氏の論文は査読付の一流国際学会誌に掲載されたものとみなしてよいのでしょうか?
だとしたら、日本国内では査読が通らないのは自分が異端だからだ、という槌田氏の主張に一理あるのかもしれません。
投稿: fumie | 2008年5月 8日 (木) 22時48分
通りすがりですが、fumieさんの指摘した雑誌というのは
少なくても一流国際学会誌ではありません。
わたしは、炭素を含めた地球の物質循環について研究している者ですが、このような雑誌を見たのは初めてでした。
編集者の方々もまったく存じ上げません。
日本人が英語で論文を仕上げるというのは(私を含めて)大変な作業ですが、できれば、より専門性の高い雑誌(Journal of Geophysical Researchとか、Tellusとか)に投稿して、議論を尽くしていただきたいですね。
投稿: 通りすがりのながれ研究者 | 2008年6月 8日 (日) 12時26分
《CO2温暖化説が間違っている》という点については、槌田氏の論文はむしろ枝葉の問題だと思います。
丁度ここのブログがでた2006/06/20以後、8 Jul 2007 (v1)に、これらを総括するかのように、物理的見地から,もっと基本的かつ重要な以下の論文(114 pages)が出ています。
「懐疑論」というのもありますが、これらは「温室効果」まで基本的根底から否定するというものではなく、いわば内輪争い・宗派争いの、枝葉末節的な議論なので、温暖化論者もそういう点では都合よかったのではないのでしょうか。
ところが、下の論文では、そんないい加減な論ではなく、そもそも「二酸化炭素地球温暖化論」の基礎になる「温室効果」〔再放射〕というそのものが間違っている(第一種・第二種永久機関メカニズム)ということから理論物理から詳しく述べられているのです。
「温室効果」(再放射)によるとしている「二酸化炭素地球温暖化論」の存在そのものが、土台から吹き飛んでしまう非常に大きなことでしょう。これまでの不毛ないいかげんな議論に終止符を打つ決定打となるでしょう。
しかも、今まで議論されてこなかった基本的な部分ゆえ、これに「反論」を加えるのは至難の業かとは思われます。(素粒子論を含むすべての物理法則で一番基本的な熱力学第一・第二法則を否定しない限り無理と思われます。)
因みに、「温暖化問題懐疑論へのコメント」などというものも、それまで意気軒高に声高にされていたようです。しかし、なぜかこれ以後、その2007/6/15版(V,2.31)を最後に動きが完全に止まってしまっているみたいです。さびしい限りですね!。
http://www.cir.tohoku.ac.jp/~asuka/
「二酸化炭素地球温暖化論」というものを固く信じていらっしゃるかたも,「懐疑論」の方もまずこの論文を精読され
るといいでしょう。
100ページを超える読みがいのある英文ですが、ご精読の上、違うと思えば直ちに「反論」し、国際的に論争を挑めばいいのです。「二酸化炭素地球温暖化論」の敵は「懐疑論」ではありません、この論点です。論理的にはすでに潰されているのです。まずここから再出発すべきではないでしょうか。(URLからダウンロード可能です。)
《論文名》:
Falsification Of The Atmospheric CO2 Greenhouse Effects Within The Frame Of Physics
Authors: Gerhard Gerlich, Ralf D. Tscheuschner (2007)
(Submitted on 8 Jul 2007 (v1), last revised 11 Sep 2007 (this version, v3))
http://arxiv.org/abs/0707.1161v3
(解説)以下に簡単に解説がなされています。
http://feliscatus.blog77.fc2.com/blog-entry-61.html
http://akumanosasayaki.blog.shinobi.jp/Entry/13/
http://phdsamj.ac.affrc.go.jp/topic/1_1.html
投稿: とおりすがり | 2008年6月17日 (火) 20時29分
↑これは単なる「予稿」ですね。査読を通過しておらず、信憑性については全然わかりません。この段階では、論文の体裁を真似ただけの「放言」と何ら変わりません。当然、「論理的にはすでに潰されている」なんて言えません。
昨年9月以降何もupdateされていないようですが、もし万一これが本当に正しいなら、今頃はNatureとかScienceとか名だたる論文誌に掲載されて大騒ぎになっているはずです。
「科学」をナメないように。
投稿: べつのとおりすがり | 2008年9月26日 (金) 02時25分
いや、掲載されても「大騒ぎ」になるかどうかはまた別ですね。
たとえこの論文の内容が正しかったとしても、それが本当に温暖化論を「土台から吹き飛」ばせるほどの内容かどうか、という点は、「とおりすがり」さんの憶測にすぎません。
投稿: べつのとおりすがり | 2008年9月26日 (金) 02時42分
はじめまして
槌田氏の「国際学会」という論文の出版元、何なのでしょうね……
全く無名のようです。
"International Journal of Transdisciplinary Research" で検索した結果 1~10件目 / 約376件
経済学中心のようですが
過去の出版を見てみると、できたばっかりの学会見たいですね。年1冊発行、4つほどの論文を出す「国際誌」ってありなのかな。
http://www.ijtr.org/archives.htm
槌田氏の論文のreferenceも凄いですね。個人のHPまで入っている……
こっちのやつ↓は、ほんとだ"accepted"になってませんね。騙されている人が結構いるようですが…
http://arxiv.org/abs/0707.1161v3
投稿: 綾波シンジ | 2008年10月19日 (日) 03時53分
>「二酸化炭素地球温暖化論」というものを固く信じていらっしゃるかたも,「懐疑論」の方もまずこの論文を精読されるといいでしょう。 http://arxiv.org/abs/0707.1161v3
(URLからダウンロード可能です。)
之は『温室効果』が論理的には之をもってすでに潰されていると考えていいでしょう。『温室効果論』〈温室効果ガス〉の終焉です。まずここから再出発すべきではないでしょうか。
すでに、1年以上経過するも『反証』不能なのです。
この「反証」が可能ならノーベル平和賞でなく、「ノーベル物理学賞」受賞間違い無しだと思います。
それ以前に、上に「温室効果」の非科学性を概括して得あります。まず之への「反論」できますか!?。
これについては、今まで議論されてこなかった基本的な部分ゆえ、これに「反論」を加えるのは至難の業かとは思われます。(素粒子論を含むすべての物理法則で一番基本的な熱力学第一・第二法則を否定しない限り無理と思われます。)
(なお、この論分を含めて新たな状況については、2008年7月に「懐疑論へのコメント」の本丸の有力者Askaさんへもお伝えさせていただいおりますことを付け加えて起きます。早くリバイスが見たいとお願いしてあります。Askaさんからは早速「友達と相談して対応します。」とごていねいな連絡をいただきました。でもその後4ヶ月以上経過するもHP等を見渡しても反応プッツリです。)
http://www.cir.tohoku.ac.jp/~asuka/ (Last updated:2008/5/24)
投稿: 通りすがり・・ | 2008年11月21日 (金) 21時02分
参考までに次の数値を見てください。
・地球の表面温度(放射平衡温度) -18℃@5500m
(シュテファン・ボルツマンの法則)by太陽
・地表の平均温度(実効温度) 15℃@地表
by重力場における大気の圧力効果(1気圧)
気温減率;6℃/1km (ボイル・シャルルの法則)
-18℃+6×5.5=15℃@地表近辺
◇地球に加わるエネルギーには上のように二つある。
・太陽
・重力場
投稿: 通りすがり・・ | 2008年11月21日 (金) 21時32分
>「二酸化炭素地球温暖化論」というものを固く信じていらっしゃるかたも,「懐疑論」の方もまずこの論文を精読されるといいでしょう。 http://arxiv.org/abs/0707.1161v3
(URLからダウンロード可能です。)
↑
重ね重ねになりますが、これ論文ではないですよ。
投稿: 綾波シンジ | 2008年11月23日 (日) 20時20分
『温室効果』というのは、論理的にはすでに『崩壊』いているのです。『温室効果論』〈温室効果ガス〉の終焉です。まずここから再出発すべきではないでしょうか。すでに、1年以上経過するも『反証』不能なのです。
それは、この「反証」が可能ならノーベル平和賞でなく、「ノーベル物理学賞」受賞間違いです。!!
『温室効果』というのは、論理的にはすでに『崩壊』いているのです。『温室効果論』〈温室効果ガス〉の終焉です。まずここから再出発すべきではないでしょうか。すでに、1年以上経過するも『反証』不能なのです。
それは、この「反証」が可能ならノーベル平和賞でなく、「ノーベル物理学賞」受賞間違いです。!!
そもそも、「温室効果」(33℃分)というのは、どこにでてくくるのでしょう?。(重力作用によるものです。)
◇地球に加わるエネルギーには上のように二つある。
①太陽エネルギー
太陽定数・・1366W/m2(@1 AU。およそ1億5000 万 km)
「“地球”の表面温度」(放射平衡温度)=-18℃ @5500m(-270~-18℃)相当。
(シュテファン・ボルツマンの法則)
②重力場(1気圧)による気温の上昇・・33℃@地表
熱力学第一法則/ボイル・シャルルの法則)
「温室効果」とは、太陽熱の回収再利用(第二種永久機関)です。②ではないです。もしあれば平均48℃以上なるでしょう!。
投稿: 通りすがり・・ | 2008年11月23日 (日) 22時23分
すみません、前の部分が重複で同じです。
訂正:
「ノーベル物理学賞」受賞間違いです。!!
・・ 「ノーベル物理学賞」受賞間違いなしです。!!
投稿: 通りすがり・・ | 2008年11月23日 (日) 22時29分
そもそも、「二酸化炭素地球温暖化論」=『放射平衡論』(再放射論)というのは、『地球の表面』と『地表』の区別がつかないというトンデモ論による間違った議論ですね。
投稿: 通りすがり・・ | 2008年11月23日 (日) 22時45分
温暖化に関する重大事項ならば、Nature,Science, PNAS(米国科学アカデミー紀要)、せめてGeophysical Research Lettersあたりの著名な専門誌に掲載されて、たくさんの専門家のチェックを受けていないとおかしいです。見てくれだけ"論文"っぽければ良いというものではありません。同様に、"教授"であれば誰でも正しいという訳でもありません。
温暖化については、国立環境研究所のQ&Aが参考になるでしょう。
http://www-cger.nies.go.jp/qa/qa_index-j.html
投稿: べつのとおりすがり | 2009年1月 8日 (木) 02時18分
FALSIFICATION OF THE ATMOSPHERIC CO2 GREENHOUSE EFFECTS WITHIN THE FRAME OF PHYSICS
GERHARD GERLICH; RALF D. TSCHEUSCHNER
http://arxiv.org/abs/0707.1161
International Journal of Modern Physics B (IJMPB)
Page 275 - 364 Volume: 23, Issue: 3 (30 January 2009)
http://feliscatus.blog77.fc2.com/blog-entry-85.html
投稿: あおぞら | 2009年5月25日 (月) 21時08分