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2006年6月30日 (金)

三角魔法陣

昨日フジテレビのたけしのコマネチ大学数学科という番組で紹介されていた問題。正式名称はわからない。アインシュタインがどうこうってのは言っていたような。息抜きにドゾー。

Photo

上の図の中にある7つの三角形について、3つの頂点を合計した数字が全て同じになるようにaからiに1から9までの数字を入れなさい。

応用問題:上の条件を満たす数字の組み合わせは何通り存在するか。

応用問題の答えは下の方に白文字で書いてあります。解法は・・・リクエストがあったら書きます。

応用問題の答え:24通り

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2006年6月29日 (木)

槌田敦「CO2温暖化説は間違っている」を読む(2)

前回は槌田氏の新ネタを読んだので、今回は本丸に入ることにする。

本丸とは2章のタイトルにあるように『気温上昇が「原因」、CO2増加は「結果」』という主張のことだ。この主張の歴史は古く、環境経済・政策学会 和文年報 第4集京都大学原子炉実験所での講演記録・1998.12.22の頃からその主張は変わっていない。この本を持っていない方でも同様の主張がWeb上で読めるので、詳しく知りたい方はそちらを参照のこと。

正直言ってツッコミどころが多すぎて全てに言及すると疲れるので、できるだけポイントを絞って解説することにする。

槌田の主張はこうだ。

 この章では、大気中のCO2濃度は、人間活動とは関係がなく、気温の上昇による結果であったことを説明する。

 すなわち、大気中のCO2濃度の増加が原因で温暖化が進行したのではなく、気温(海面温度)の上昇で海水中のCO2が大気に放出され、大気中のCO2濃度が増えたのである。

p32

この主張の根拠となって、槌田論でもっともよく引用されるのがKeelingによるこのグラフだ。

23_1

キーリングもびっくりのCO2温暖化否定論

この図を引用し、槌田はこのように書いている。

彼らは、気温およびCO2濃度のどちらも長期的な視点で見れば上昇しているという点と、季節変化をはずして短期(1年)的な変化について【図表2-3】のようにまとめたのである。

 この図表によれば、CO2濃度の変化は、気温の変化を後追いして、半年~1年後に増減している(キーリング 1989年)。つまり原因は気温であり、CO2濃度は結果である。

p38

なるほど、確かにCO2濃度と気温には相関があるようにも見える。しかし、このグラフにおけるCO2濃度は単なる観測されたCO2濃度ではないことに注意してもらいたい。縦軸の真ん中が0になっているのがわかるはずだ。ではこのCO2濃度がどのようにして導かれたのかを見ることにしよう。

この図は槌田敦「CO2温暖化説は間違っている」を読む(1)図表1-3 で示した実際に観測で得られたCO2濃度から化石燃料の消費量から見積もった推測値を引いたものだ。グラフで見せると下のようになる(下のグラフはKeelingら、1995より作成)。

3

つまり、図表2-3のCO2濃度は単純な実測値ではなく、化石燃料由来のCO2を除いたときの変動をあらわしていることになる。一方の気温は実測値なので、このグラフが示すのはCO2濃度のわずかな揺らぎと気温との関係ということになる。このあたりの説明についてはこちらの記述も参照のこと。槌田氏もこの記述に言及している。

 しかし、多くの気象学者はこの都合の悪い事実を無視しつづけた。しかし、上記根本著『超異常気象』(1994年)を読んだ人々から疑問が増えてきて、キーリングの発表後15年もたって、ようやく二本気象学会天気編集委員会は統一見解を発表することになった(河宮 2005年)。

p39-40

このあたりの記述はアポロ月着陸捏造説(もちろんトンデモ説)に対応したNASAやNASDA(現JAXA)の説明に対する反発と相通ずるものがあって楽しい。

さて、槌田はキーリングがこのグラフから何を読み取ったかについてこのように書いている。

 気象学者キーリングは、1章で紹介したように南極とハワイでCO2濃度の精密測定をして、CO2温暖化説に根拠を与えた人である。そのキーリングが、CO2温暖化説をひっくり返す事実を発表したのである。

 彼は、気温変動が地球表層のCO2放出源や吸収源に影響を与えた結果この微妙な不規則変動が現れたとしているが、それ以上の論評をしていない。つまり、気温が原因でCO2濃度は結果であることを認めたのである。

p38

気温が原因でCO2濃度は結果であることを認めた、というのは論理的には間違っているとは言えないだろう。ただし、気温が原因でCO2濃度は結果であることから、CO2濃度が原因で気温は結果であることを導くことはできない。地球温暖化FAQ:二酸化炭素と温暖化は因果関係が逆?でも説明しているように、因果関係はどちらか一方しか成立しないという性質のものではなく、両立しうるのだ。だから、これをもって「CO2温暖化説をひっくり返す事実」と説明するのは間違っている。

では実際にこのグラフから何が読み取れるかをグラフ(図4)で見てみよう。

4

槌田図表2-3はCO2の人為的排出分、グラフでいうと青い部分を除いた部分の変動を見ている。つまり、グラフの赤い部分の変動を見ていることになる。CO2濃度変動のうち、この赤い部分の変動が温度の変動によって説明できるというのがキーリングの趣旨であって、決してCO2濃度変動全てが温度の変動によって説明できると言っているわけではない。キーリングの説はCO2濃度変動が主に人間活動由来であることを補強するものであって、否定するものではないのだ。槌田はその点について全く理解していないと言っていい。

既に書いたように、キーリングの説はCO2温暖化説にとって都合が悪くもなんともない(むしろ都合がいい)し、キーリングの説を無視なんかしていない。

この構図は、進化論を理解していない人が、分子進化の中立説を根拠にダーウィン進化論を否定するときとよく似ている。もちろん分子進化の中立説はダーウィン進化論を補強するものではあっても、否定するものでは全くない。既存の説とちゃんと整合性がとれているにもかかわらず新しく提唱された説を否定論の根拠としてしまうってことは、そのような主張をおこなう者は既存の説も新しく提唱された説も両方とも理解していないということを意味する。既存の説を理解していない人がなにやら変な主張をするのがトンデモさんの特徴なのだが、このような人が主張する説が主流となり、認められた例はない。おそらくこれからもないであろう。

参考文献

Keeling, et al., Nature 375(1995)666-670

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2006年6月28日 (水)

親父から手紙が来た

昨日うちの父親から手紙が届いた。

住民票などの事務書類の送付が主目的だったのだが、その中に挨拶文があり、妻の名前も書かれていた

妻の漢字ひとつも合ってねえじゃん!

たとえば絵里香が恵理佳になってた、みたいな感じ。

一文字一漢字なので昔からよく間違えられていたようだが、ひとつも合ってないってのはなかなかないようだ。しかも間違えたのが義理の父親かよ。

ひょっとしてすでにけっこうヤバいのか・・・?

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2006年6月22日 (木)

当ブログがるいネットで紹介された

たまに自分のHNでググったりしているが、たまに「おや?」というところがひっかかったりする。

今回はるいネットのブログ紹介のページがひっかかった。

懐かしい名だ。知っている人はしっているだろう。知らない人は、おそらく覚える必要はない。

簡単な紹介文が付いているので紹介する。

環境問題に関して考察するブログ。落ち着いた語り口に好感がもてる。

褒めていただいて恐縮だが、紹介者はおそらく私の暗黒面を知らないのだろう。もちろん知らないのは紹介者の落ち度ではない。

今のところ投票者数は0で、得点も0だ。

得点が上がって欲しいと願うべきなのか、少々複雑。

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2006年6月20日 (火)

槌田敦「CO2温暖化説は間違っている」を読む(1)

昨日読了した槌田敦「CO2温暖化説は間違っている」のレビューを行う。

さて、まずは著者のプロフィールから見てみよう。

学歴、職歴はどうでもいいので略。中西準子氏によれば「(かつて)所謂市民派研究者の代表的な人で、エントロピー学会の創設者の一人」だそうだ。真に市民派かどうかは不明だが、エントロピー学会については本の中に以下の記述があった。

 エントロピー学会という学会がある。私はこの学会の発起人のひとりであるが、その学会の編集する論文集に投稿した私の論文について、このCO2温暖化とフロンに関する部分の削除が要請された。このような自由に意見のいえないような学会の設立を提案した覚えはないので、原稿を取り下げ、即刻脱会した。

p137

だそうで、既にエントロピー学会とは縁を切っているようだ。しかし、論文の一部に対する削除要請や論文そのものの却下なんて普通にある話のはずなんだが、その原因を自分の論文の拙さに求めるのではなく、学会の体質にしてしまうあたりがトンデモさんの面目躍如と言ったところか。

槌田敦氏の主張を簡単にまとめると、「地球は温暖化しているが、その原因はCO2ではない。原因は他にあり、CO2は温暖化の結果として増えているに過ぎない」ということになる。それは地球温暖化理論とそれへの批判の論理的構図の2-1-4.「二酸化炭素等のガスの増加分の多くは人間活動によるものである。」への批判を主とする。他にもあるが、槌田論のキモは(トンデモ的にはともかく、科学的には)この部分にあると言っていいだろう。最初から槌田論のおかしなところを逐一挙げていくときりがないので、この部分を中心に読んでいくことにする。

槌田敦が認める気温とCO2濃度変動

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まず冒頭で槌田敦は

人々は、世界各地で昔に比べてだんだん暖かくなっていると感じている。この地球の温暖化は、例外がないわけではないが、多数の測定結果からして「事実」と考えてよいと思う。

p12

と、最近の温暖化傾向そのものを認めている。また同様に、図表1-2で最近の気温測定値を出して「各地で気温上昇の傾向があることについては認めてもよいであろう」としている。

また、図表1-1でキーリングがハワイで測定したCO2の濃度のグラフを出し、CO2濃度が上昇していることも認めている。

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つまり、大気中のCO2濃度と気温の変動に関しては認めているということになる。

化石燃料の消費量に噛みつく槌田敦

珍説はここから始まる。図表1-3は化石燃料の消費と観測された大気中のCO2濃度を示したものだ。図中の点で描かれたものがマウナロアで観測された大気中のCO2濃度(季節変動を除いたものであろう)で、滑らかな線で描かれたものが化石燃料の燃焼とセメントの製造によるCO2排出量の58%が大気中にとどまった場合の積算量である。p25の図の説明には「この図表では不連続な点で書かれているのが平均気温であって」と書かれているが、大気中のCO2濃度のまちがいであろう。本文中では正しく説明されている。

13
この図では化石燃料によるCO2積算量が滑らかに増加しているのが見て取れるが、これを「とんでもない間違い」として激しく批判する。この批判がまたいい味を出している。

 ところで、【図表1-3には、とんでもない間違いが存在する。それは化石燃料とセメント産業から放出される(以後化石燃料由来と呼ぶ)CO2濃度が滑らかに増加する曲線で示されていることである。しかし、経済活動には浮き沈みがあり、そのような滑らかで単調に増加する曲線で変化をするはずがない(槌田 2005年)。経済学者・宇沢弘文は気象学者キーリングにだまされたのである。

p26

なんともすごい批判だ。キーリングがデータをねつ造したと言わんばかりだ。でも、多少の浮き沈みがあってもそんなに曲線に変化があるとは思えないけど?

続けて槌田は経済活動に浮き沈みがあることをIPCCのデータで示す。

14_2

化石燃料の燃焼とセメント産業から放出されるCO2は、1980年まではほぼ単調に増加したが、1980年以後この放出は鈍化し、部分的には減少さえしているのである。

p26

いやだからCO2の放出が鈍化しようが多少減少しようがCO2濃度が滑らかで単調に増加する曲線に変わりがあるとは思えませんが?

そもそも図表1-3で示されている滑らかな線は化石燃料由来のCO2の積算量だから、化石燃料由来の排出が存在する限り上昇することになる。図1を見てもらえばわかると思うが、年間排出量が前年と変わらなくても積算排出量=CO2濃度はどんどん増えていくのだ。

Co2_1
まだ納得しない方のために、実際に図表1-4で示されている化石燃料由来のCO2の年間排出量のデータをもとに積算排出量をプロットしたグラフ(図2)をお見せする。槌田に言わせればこの曲線は「滑らかで単調に増加する曲線」のはずがないということになる。誰か同意する人っている?また、キーリングのグラフ(図表1-3)と比較してもらいたい。私には違いが全くわからなかった。これも槌田先生の心眼にかかればキーリングのグラフはとんでもなく間違っているように見えるんだろうなあ。

もうおわかりだと思うが、槌田敦はCO2の年間排出量と積算排出量から見積もられるCO2濃度という比較してはいけないものを比較しちゃっているのだ。

2_1
その後も批判はとどまることを知らない。なんと比較してはいけない両者を共に微分してまた比較しているのだ。

 一方、大気中のCO2濃度は、45年間にわたって、その濃度の増大だけでなく、その毎年の増加量も増大しつづけている。【図表1-5】に示すように、年平均増分は、1960年では0.8ppm/年程度であったが、1980年では1.3ppm/年程度、1990年では1.55ppm/年程度、2000年では1.8ppm/年程度とその増加はますます激しくなっている。

 このように大気中のCO2濃度だけでなく、その増分も波打ちながらではあるが、増大をつづけている。これに対して、【図表1-4】に示される化石燃料の毎年の使用量は、1960年から1980年までの20年間には24億トンから52億トンへと28億トン、年あたり1.4億トン増加している。しかし、1980年から1990年までの10年間には52億トンから59億トンと7億トンで、年あたり0.7億トンしか増加していない。1990年から2000年まではさらに減っている。

 つまり、大気中のCO2濃度は人間の排出するCO2とは関係がないのである。

p27-28

15
おいおい、大気中のCO2濃度の増分と化石燃料の年間排出量の増分を比較してどうすんの?当然のことだが、比較してはいけない両者を共に微分して比較しても合うわけはない。比較すべきなのは、大気中のCO2濃度の増分と化石燃料の年間排出量(の増分ではなく)だ。つまり、図表1-4と1-5の比較をすればいいことになる。大まかに見れば両方とも右肩上がりで、傾向としては一致している。1980年以降のCO2の年間排出量の伸びが鈍っている部分が反映されていないという反論があるかもしれないが、これだけ波打っているグラフではそこまで反映されることは期待できないし、そもそも大気中のCO2濃度は化石燃料の排出量だけで決まるわけではない。このあたりはまた後日説明することにする。

しかしまあ、こういった証拠で

 最近になって、一部のマスコミなどで疑問をはさむ論調も見受けられるが、あくまで「疑問調」である。断定を怖がってのおよび腰では、いつまでたっても気象学者や経済学者は真実を語らないだろう。

p30

とか

 あらためて断るまでもないが、私はCO2温暖化説に対して、「懐疑派」ではない。あくまで「否定派」である。

p138

とか言い切ってしまえるのはなんともはや、あっぱれと言うべきか。槌田敦イズム全開だ。

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2006年6月19日 (月)

槌田敦「CO2温暖化説は間違っている」ほぼ読了

トンデモの片棒を担いじゃった中西準子で俎上に上った「CO2温暖化説は間違っている(槌田敦著、ほたる出版)」をほぼ読了。いやあ、いつものやつであろう、などと書いていたが、なかなかどうして、以前よりもトンデモ度がパワーアップしておりなかなか笑える。まあ、キモの部分の「大気中二酸化炭素濃度の増大は、気温の上昇の結果であり、原因ではない」という部分は変わり映えしなかったが。

そのうちレビューするつもりだが、これ、誰かトンデモ本としてと学会で紹介しないかなあ。トンデモ本大賞とかは無理にしても、社会への影響力を考えると取り上げるだけの価値はあるような気がする。

しかし、中西準子ともあろうお方がどうしてまた「なかなか説得力がある」なんて思っちゃったんだろう?そんなに見破るのが難しかったのかなあ?

それはそうと、ほたる出版の書籍案内が本に挟んであったが、その中で「気とエントロピー―医者と患者に役立つ東洋医学    エコロジー対論シリーズ」帯津 良一 VS槌田 敦 (著)という本が紹介されていた。その紹介文はというと…

驚きと興奮。こんな考えは聞いたことがない!

東洋医学は、ずばりエントロピーの医学です。健康も、病気も、自然治癒力もエントロピーをベースに考えれば、明快に見えてきます。人間が昨日と同じ「今日」を生き続けられるのは、地球エンジン、人間エンジンに共通したシステムがあるからです。その仕組みと性能アップの方策「気」について解き明かします。驚きと興奮のタイ論をどうぞ。

なんというか、実に香ばしい香りが。しかしまあ、ここまで出来上がっちゃってるとは思わなかったなあ。買うべきか、買わざるべきか、悩ましいところだ。

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2006年6月16日 (金)

水伝と生物学的元素転換の夢の?コラボレーション、そして農業への応用

事象の地平線ブログより。

 阪大のながぴいさんからの情報。
 日本物理学会2006年秋季大会(9月20日(水)―23日(土)、奈良女子大学)で以下のような発表があるらしい。

言葉が水の氷結状態と水中元素濃度に及ぼす影響
(九大院工)高尾征治・○川添淳一・(アイエイチエム)江本勝・
(ホワイトマックス)増本勝久・(IHMテック)里中耕也・(サロンドジャン)石田静子
<申し込み要旨>江本は独自の水の氷結技術を開発し、水の氷結状態が言葉の影響を受けて多様に変化することを示した。ここでは、それに対応して水中に微量含まれる元素濃度がどのように変わるかを調べてみた。その結果、「ありがとう」、「ばかやろう」の日本語だけでなく「Thank you」,「You fool」の英語でもカルシウム元素が同じパターンで変化することがわかった。

 秋は分科会で、物性関係の会場は千葉大のはずだが、彼らは実験核物理で登録したらしい。まあ、日本物理学会といえば、その昔、清家新一氏がUFOの飛行原理について発表したこともある由緒正しいwトコロなので、今更何が発表されたって驚かないが……。しかし、水の結晶成長なのに何故物性ではなく核物理?と思ったのだけど、「水中に微量含まれる元素濃度」が変わるという主張なら、元素変換だから核反応か……orz。彼らはどうやら『ありがとう』の声かけ実験で、核反応を引き起こす境地に到達したらしい。常温核融合の斜め上を行ってるな^^;)。

こちらでも取り上げられているが、高尾征治ってのはししゃ科も会の代表である。米法人「国際地球環境大学」教授でもあるようだ。国際地球環境大学については山本弘の記述を参照のこと。ししゃ科も会の主たる研究内容は腸内造血説元素転換。どうやら腸内造血説は千島喜久男の、元素転換はケルブランの流れをくむようだ。今回はその元素転換と水伝が合体したような発表なのだろう。

なんでこんなこと知っているかというと、話は4年ほど前に遡る。当時Yahoo!掲示板には無施肥農法を提唱しているA_modokiなる人物がいた。一口で言うと、肥料を与えなくても通常通り作物が生育するというもの。少し考えればわかることだが、初めのうちは無肥料でも蓄積していた養分で作物はそこそことれることはあるにしても、その土地の養分は作物として持ち出されるからいずれ養分は枯渇する。つまり施肥以外での養分の流入が多量に見込めるような特別な条件でないと、無施肥農法は成立しない。そのあたりをツッコんだところ、「理論よりもまずは実践」とかいうありがちな逃げをうった。その他にも酸化腐敗菌やら還元発酵菌やらトンデモキーワードが噴出してきたわけだが、その中に腸内造血説なるものが登場し、そのネタを進化論と創造論の掲示板に投げ込んだというわけ。あとは腸内造血説→ししゃ科も会→原子転換という流れ。

原子転換で言えば、Yahoo!掲示板の方でこんな冗談を飛ばしていたこともあった。

hechiko>持ち出すのを休まず(休耕せず)、また余計に養分を土に与えていない(施肥をしていない)土でn年以上、毎年N(harvest)だけ養分が持ち出されていく(他と収穫量が変わらない)土がありました。さて、ここではいったいどういうことが起きているでしょうか?

NATROM>わかった!毎年N(harvest)だけ養分が中から湧いてきた(自然発生した)んですよ。

hechiko>50点。誰でも思いつくようなトンデモさで、独創性に乏しい。本来なら40点だが、腸内造血説をイメージさせているのは評価できるので、10点加算。

NATROM>50点かあ。シンプルイズベストだと思ったんだけど。「毎年N(harvest)だけ生体内原子転換が起きた!」のほうがよかった?でもこれだと、A_modokiさん、_マジで_信じていそうだし。

読み返してわかったんだが、このとき既に原子転換と江本の波動のドッキングの試みはなされていた。そしてさらに調べると、無肥料栽培の科学的根拠の一つに生物学的元素転換があることも明らかになった。またこのサイトのリンクには腸内造血説の大本である新生命医学会が張られている。

これらの情報の流れを考えると、ししゃ科も会の成果が無肥料栽培農法の科学的根拠となり、利用されているという推測ができる。なかなか見事な産学連携のようだ(棒読み)。

となると、次に予想されるのは水伝、あるいは水伝+元素転換の農業への応用だ。無肥料栽培を提唱しているグループにどの程度の影響力があるのかは不明だが、Yahoo!掲示板で旋風を巻き起こした?人のサイトを覗くと、農法について雑誌に掲載されたりもしているようだ。

ひょっとすると、「ありがとう」の札がかかしといっしょに水田に掲げられる、なんてことがあるのかもしれない。

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2006年6月15日 (木)

トンデモの片棒を担いじゃった中西準子

環境問題に関心がある人で中西準子の名を知らない人はそうはいないだろう。リスク論の専門家であり、環境リスク学―不安の海の羅針盤などの著作などでも知られる。その中西準子がトンデモにコロッと騙されちゃったという話。

問題の文章はこちら。

雑感349-2006.6.13「原子力発電と温暖化」

前半は「原子力と環境」(中村政雄著、中公新書クラレ)の書評となっている。こちらについてはまだ未読だし、評するほどの知識もないので飛ばしておこう。

次からが問題の部分。

「CO2温暖化説は間違っている」(槌田敦著)

この本は、槌田敦さんがほたる出版から出しているのだが、「原子力と環境」を読んだ方には、逆の見方を知るという意味で、この本も読むことを勧めたい。槌田さんは、(かつて)所謂市民派研究者の代表的な人で、エントロピー学会の創設者の一人である。彼は、この本の中で徹底的にCO2による地球温暖化説を否定する。大気中二酸化炭素濃度の増大は、気温の上昇の結果であり、原因ではないと主張する。それは、なかなか説得力がある。

槌田敦かよ。件の本は取り寄せ中で未読だが、今年2月に開催された温暖化の原因と対策についての賛否討論会レジュメアマゾンのレビューを読む限り、いつものやつであろうと推察される(読んだらまたフォローします、本当は買いたくなどなかったのだが)。ひとことで言うと槌田説のキモであるCO2自然起源説はトンデモあるいは疑似科学であり、科学ではない。具体的にどのあたりがトンデモかはここでは触れない。知りたい人は私の記事温暖化いろいろ「温暖化懐疑派・否定論」 の記事明日香壽川(東北大学)らのコメント討論会で使われたパワーポイントなどを参照されたい。そのようなトンデモ説を中西氏は信じちゃったようだ。まあ、温暖化のメカニズムについて勉強したこともないしろうと(*1)だから、説得力があると思ってしまっても仕方がない点はあるかもしれないが、「温暖化説の仕掛け人は原発業界」とか「CO2温暖化説に批判的な論文は定評ある学術誌には掲載されない」とかいうトンデモ論に典型的に見られる陰謀論(*2)がちりばめられているにもかかわらず、それには気付かなかったのだろうか。というより、むしろ積極的に支持している風でもある。槌田説の論文が定評ある学術誌には掲載されないのはCO2温暖化説に批判的だからではなく、間違っているからに過ぎない。実際、CO2温暖化説に批判的な論文が定評ある学術誌に掲載された例はある。よしんばCO2温暖化説に批判的な論文が掲載されないという風潮があったとしても、掲載されないという事実のみから学会にこのような風潮があると結論づけることはできない。

問題は単にトンデモを信じちゃったことのみにとどまらない。

では、おまえは?

では、おまえはどう考えるのか?と聞かれそうである。

答えは、相当日和見である。二酸化炭素による温暖化はあり得るが、今の学説やモデルでの推計がどの程度正しいかは分からない、したがって、二酸化炭素排出を一定程度削減すべきだが、がむしゃらに二酸化炭素排出を削減すればいいというものでもない(逆の問題が起きるような対策には注意が必要)。冷静に観測して、証拠を集めるだけの時間もあるし、また、厳しく削減すれば、一挙に生活を直撃するし、資源戦争を誘発するかもしれないような難しく重大な課題だから、もっと、科学的な根拠が共有されなければ、やはり無理なのだと考えている。

その意味で、学会やあらゆる紙面、テレビ等は両方の意見に対して開くべき時と思っている。特に学会には注意してほしいと思う。多数決で統一見解を出すことが必要な時もあるだろうが、多数派の意見が間違いかもしれぬという思いを常に残した、運営、議論の場の設定がどうしても必要だと思う。これは、6月号の中央公論に書いたことと同じなのだが。

温暖化対策について日和見主義であること自体は別に問題ではないように思う。問題はその次だ。学会やあらゆる紙面、テレビ等は両方の意見に対して開くべき、って言うけれど、そもそも学会が開かれていないという認識って正しいの?おそらくこれは「CO2温暖化説に批判的な論文は定評ある学術誌には掲載されない」という主張を受けてのものだろうが、こういった風潮が実際にあるのかどうか、どうして温暖化のメカニズムについて勉強したこともない中西氏に判断できるのだろう?どうして「単に間違いだらけなので掲載された」わけではないと判断できるのだろう?このような判断は温暖化メカニズムに熟知した者でないと無理であると私は思う。それとも中西氏は一般書を一冊読んだだけで温暖化メカニズムを熟知したつもりになっちゃったのかな?

中西氏の著書を読むと、これまで氏が学会その他が抱える不条理な面に直面してきたという点があり、それへの反発が現在の氏を形作ったとも言えそうだ。確かに学会やマスコミの姿勢は時として偏向することがあるのは事実だろう。そういった体質を批判しようとする氏の姿勢は理解できないわけではない。しかし、だからといって両論を熟知していない者が安易に両論併記などと主張すべきではあるまい。それはかえって専門家による相互批判とそれによる理論の取捨選択で成り立ってきた学会本来の良さを消してしまうことになるだろう。議論されずに捨てられた理論に対して、その理論を熟知した者が「もっと議論せよ」と言うのは正しいが、議論されて(あるいは議論されるまでもなく)捨てられた理論に対して、その理論を熟知していない者が「もっと議論せよ」と言うのは戯言にしか過ぎない。中西氏がやっているのは後者の方だ。氏の主張は、進化論や相対性理論に対して無知な者が「創造論や相対性理論は間違っているという説はあり得るかもしれない。学会やマスコミはもっと両方の意見に対して開かれるべきだ」という主張をしているのと何ら変わりがないように私には思えた。

また、マスコミの偏向報道関連についてはマスコミの温暖化報道は偏向しているかで既に述べた通りだ。

結局のところ、一般書一冊で「わかっちゃった」つもりになったという自己の能力への過信がこのような愚論を導いているのではないだろうか。「なかなか説得力がある」と考えた時点で「自分の持っている浅薄な知識ではそう思えるだけかもしれない」という自己批判精神があればこのような事態にはならなかったように思う。このように、実績を積み上げてきた人物が調子に乗って能力以上のことをしようとしてしまうという症状は老害の症状の一つだが、中西氏も耄碌したってことなのか。少々辛辣な批判だったかもしれないが、氏の実績と評判を考えると、このくらいやらないと悪影響が広まる可能性が高いように思える。トンデモの片棒を担いだ、っていう表現も多少大げさかもしれないが、結果的に見るとそうなってしまったように思える。本人の意志でやったわけではないのだろうが。

(*1)本人の弁による。

(*2)「人類の月面着陸というねつ造はアメリカの陰謀」とか「進化論に批判的な論文は定評ある学術誌には掲載されない」とか。

(追記:懐疑論への反論を追加しました。2006/06/16)

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2006年6月12日 (月)

毎日新聞の間違い

今更の話だが、毎日新聞の記事に間違いを見つけたので報告。

温室効果:1億年前の大西洋、熱めのお風呂なみ?2006年2月18日 (土) 毎日新聞

大西洋の熱帯海域の表面温度が、8400万~1億年前には最高で熱めのお風呂なみの42度に達していたとの推定を米ウッズ・ホール海洋学研究所(マサチューセッツ州)の研究者グループが17日発表した。

高温化の要因の一つは現在の約3.4~6倍あった大気中の二酸化炭素(CO2)濃度という。今回の推定に基づけば、現在の地球温暖化予測モデルはCO2の温室効果を過小評価しており、温暖化が予想より急激に進行する可能性もあるとしている。

同研究所のカレン・バイス研究員らは、南米スリナム沖の海底から03年に採取した堆積(たいせき)物に含まれる有機物や微生物の化石の化学組成を分析。同海域の当時の表面温度は33~42度(現在24~28度)で、大気中のCO2濃度は1.3~2.3%(同0.38%)だったと推定した。

バイス研究員は「推定値が正しいとすれば、現モデルは、CO2濃度が1%以上増加した場合の温室効果を過小に見積もっている可能性がある」と指摘している。

現在のCO2濃度が0.38%ってことはないだろ。380ppmだとして、0.038%だな。

元ネタはこちら

They were 1,300 to 2,300 parts per million (ppm), compared with 380 ppm today.

桁が間違ってるよ。だれも気付かなかったの?毎日新聞の中の人たち。

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2006年6月 9日 (金)

ポスドクは大学教授

うちのボスがポスドクを募集したところ、なんと大学教授が応募してきたらしい。常識的にはありえない展開なので事情を聞いたところ、大学とケンカして辞めちゃったとのこと。いったい何があったんだろう?しかも手続き上私が雇い主で指導をすることになるらしい。書類上のこととはいえ、一回り以上も上の、しかも社会的立場も上だった人物が部下になるってのはなんともやりづらいことだ。これからどうなることやら。

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2006年6月 8日 (木)

胎教:我が家の場合(2)

まあそんなわけで、帰宅後は毎日音楽を聴かせているわけだが、最近妻からのツッコミが入るようになった。

妻「いくら音楽が胎教にいいとはいえ毎日スパロボパワプロのBGMばかり聞かせるのはどうか」

hechiko「いやいやそんなことはない。どんな音楽であれ刺激は赤ちゃんにいいはずだ」

妻「胎教にはモーツァルトが良く、ロックなどは良くないと聞くが」

hechiko「それは通説ではないのか。エビデンスはあるのか。」

妻「いろいろなところで紹介されているが。ていうか自分が遊びたいだけだろ」

むう。仕方がないのでモーツァルトのCDを探すことに。

その結果出てきたのはこの1枚のみ。

モーツァルトがいいとはいえ胎教にレクイエムってのはいかがなものか。それならばまだゲーム音楽の方が良さそうだ。かといってわざわざ胎教用のCDを買うのもなあ、なんて思っていたら、妻が図書館からCDを借りてきていた。

それではゲームをする口実がなるほどその手があったか。

そんなわけで自宅ではモーツァルトの音楽が流れている。

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2006年6月 7日 (水)

胎教:我が家の場合(1)

昨日の記事で胎教には科学的根拠が乏しいということを書いた。しかしながら、これは胎教に意味がないとか、胎教を行うべきではないということではないということも書いた。科学的根拠が乏しいというのは、胎教を行っても効果があるかどうかはわからないということであって、胎教を行っても効果がないということではないからだ。ひょっとしたら実は効果があるかもしれないし、その効果に対する科学的検証が行われて効果があると判断されるかもしれない。確実な予測が成り立たない以上、どうするかはギャンブル的要素を含むことになる。ただし、ギャンブルとは言ってもできるだけ期待値が高い方に賭けたいので、これまで得られた情報を最大限に活用して判断するということになる。今回は我が家の事例を紹介しよう。

まず判断する要素とそれに対する評価を列記しよう。

1.胎教の効果がどの程度見込めるか

ここでいう胎教の効果とは、胎教を行うことによって脳の発達など、胎児に良い影響がみられるかどうかを指す。胎児が影響を受けるのだから、胎児の五感が胎教による刺激を受け取ることができなければならない。胎教に関係ありそうなのは視覚、聴覚、触覚だ。視覚は明るさを感じるくらいはできるようだが、物を識別したりはできそうにない。「お腹の赤ちゃんは外の景色を見ることができるのではないか」ってのはありそうにもない。聴覚は妊娠後期には完成に近い形をとるようだ。ただ人の声を言語として認識するってのは難しいだろう。声色を覚えていたりはするかもしれないが。英語を聞かせると英語耳ができるってのはかなり怪しいように思う。おなかを叩いたりすることによる触覚の刺激はあるのかもしれない。ただ、それが教育につながるかどうかは少々怪しい。まとめると、音楽や話しかけによって聴覚が刺激されて脳の発達を促すってのはひょっとしたらあるかもしれない、といったところか。

2.胎教にかかるコストはどの程度か

一般的なのは胎教用CDあたりか。既に持っている音楽ならほとんど金銭的コストはかからない。時間的コストは結構かかるが、妻はヒマそうなのでよしとする。

3.胎教にかかるリスクはどの程度か

よほど変なことをしない限りリスクはほとんどないように思える。

4.副次的な効果はあるか

子どもとコミュニケーションがとれる(気になる)。子どもがいるという実感がわく。

といったところか。

総合的に考えると、正直あまり効果は期待できないけれど、別にお金がかかるわけではないし(お金がかかるのはやらない)、リスクもなさそうだし、なにより反応があるような場合はおもしろいので、適度に音楽を聴かせたり話しかけたり叩いて反応を見たりということをやっている。個人的な感触では、胎教は子どものためというよりも、親のための行為という面が大きいような気がしている。

(2006/6/29追記:理論に対する確からしさの判断は数少ない情報に基づく個人的な判断であり、専門領域における実情をあらわしていない可能性があります。)

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2006年6月 6日 (火)

胎内記憶と胎教の科学的根拠

早いもので、妊娠していた妻ももう8ヶ月になる。妊婦仲間では胎教なるものが行われているとのこと。

胎教ねえ、科学的に見てどうなのよ?なんて考えていたら、胎内記憶に関する記事が。

胎内記憶:幼児の3割が鮮明に語り 横浜の産婦人科医が調査(毎日新聞)

要約すると、幼児には胎内記憶がある可能性があり、親子で語り合って絆を深めて欲しい、というもの。

要約してわかるのは、前段と後段が繋がらないってこと。べつに親子の絆を深めるのに胎内記憶云々は関係ないと思うが。

調査を行っている横浜市の産婦人科医、池川明さんは調査を始めるきっかけについてこのように話している。

 池川医師が胎内記憶に関心を持ち始めたのは7年前、助産師から小学1年の孫が書いた作文を見せられてからだ。作文には「ぼくがおかあさんのおなかにいるときに、ほうちょうがささってきて、しろいふくをきためがねのひとにあしをつかまれて、おしりをたたかれました。こんどはくちにゴムをとおしてきて、くるしかったのでないてしまいました」とあった。

そりゃ偽記憶じゃないの?

似たような経験を同じ毎日新聞の元村有希子記者が理系白書ブログに書いている。

私は物心ついてからそんなことを聞かれた覚えがある。
そのときには、親から吹き込まれた新たな記憶が加わってしまっていて、自分でも覚えているのか、教わったのか分からなかった。
「おへその穴からお父さんが見えた」みたいなストーリーだったと思うが、これは胎内記憶ではないだろう。

どうやらこの医師よりもこの記者の方が理系的センスが良さそうだ。

胎内記憶に関するこの記事の評価はこちらが詳しいので、簡単にしよう。人間の脳は胎児期にはほとんど完成しているし、聴覚のような感覚器官は8ヶ月程度で完成するようだ。機能的な面から言えば、胎児や誕生のときの刺激が脳に何らかの影響を及ぼす可能性は否定できないが、それが具体的な記憶となっているとはきわめて考えにくいだろう。

さて、話を胎教に戻そう。胎教は、胎児のときに良い刺激を与えてあげることによって脳に良い影響を及ぼす、という説の上に成り立つ行動だ。注意しなければいけないのは、胎児が刺激を受けるだけでは胎教にならない、ということだ。脳に影響がなければいけないし、しかもそれが良い影響でなければいけない。

まずは、一般の妊婦の意識についてみてみよう。

胎教、赤ちゃんに通じた?

・こちらの話していることがわかっているような気がした。(京都・34歳)

・毎日話し掛けていると、呼びかけによって胎動が起こることがよくある。(滋賀県・38歳)

・胎動のあとにポンとお腹を叩くと、すぐに反応があった。感動した。(京都・32歳)

・いつも聞いている音楽を聴くと、胎動が激しくなるような気がする。(宮城県・31歳)

それって単なる気のせいでは・・・

仮にお母さんからの刺激による反応だったとしても、その刺激によって脳に良い影響がなければ教育とは呼べないわけで。たとえば、急に耳に息を吹きかけられたらビクッとするけれど、それを続けたからといって教育とは呼べないのと同様。確かに胎児からの反応があれば感動はするけれど、それは単なる親の自己満足に過ぎないかもしれないってことを自覚しておかなければならない。

さらに、胎教に関する科学的な言及がないか調べてみると、産婦人科デビュー.comなるサイトを発見。ここでは「科学的に解明されてきた『胎教』の重要性。」などと謳っている。

その中身はというと・・・

最近の産婦人科では、4D超音波エコーでお腹の赤ちゃんの映像を、お母さん自身でも見られるようになってきました。口や手足を動かしたり、外からの音に驚いて両手をパッと広げたり、指を吸ってみたり、少し笑っているのでは?と思うような映像も見られるのです。それは間違いなく、お腹の赤ちゃんが立派に“心”を持ち始めて、一人前になっていることを意味しています。

外からの音に驚いて両手をパッと広げたり、ってのはただの反射ではないのか。べつに胎児は“心”を持っていないなどと言うつもりはないが、一人前というのは明らかに言いすぎだろう。

他にはこんな説明も。

“お腹の赤ちゃんは外の景色を見ることができるのではないか”と思わせる事例が多数あります※。お母さんと赤ちゃんはへその緒でつながっているので、お母さんの感覚器を通じて電気信号のような形で映像が伝わっているのかもしれません。


■赤ちゃんがお腹にいる時、花を指さして「キレイなお花ねー」と話しかけていたが、1歳半になった頃、何も教えていないのに花を指さしてキレイというようになった。

花がキレイだという感覚は胎教によるものなのか。ってことは、任意のモノに対して「キレイな○○ねー」と話しかけていれば、子どもは○○を指さしてキレイというようになるのだろうか。なんか無性に試してみたくなってきた。

結局のところ、科学的に見て解明されてきたと言えそうなのは

『脳の受け皿』は生後6ヶ月までに決定してしまうという研究発表があります。例えば、英語のある発音を生後6ヶ月までに聞かなかった場合、それ以降はその発音に反応できない、ということがあるのです。「え!生後の6ヶ月間しかないの?」と思わないでくださいね。妊娠3ヶ月くらいから胎児の脳の中に記憶した痕跡のようなものが見られたりします。すなわち、お腹にいるときから赤ちゃんの脳は“受け皿の用意”をはじめているわけですから、お腹の中にいる時間も含めると十分『脳の受け皿』の用意をすることができます。

という程度のものだけだった。これにしても、この研究発表にどの程度の信頼性があるかは不明だし、仮にこの説が正しいにしても、胎児に教育を施すことによって『脳の受け皿』にどのような影響を及ぼすのかはまだまだ不明な点が多い。この程度の証拠で、

明るい!元気!天才!人から好かれる!育てやすい!・・・『胎教』は、必須項目。

などというキャッチコピーでネズミさんたちの広告に誘導するってのはいかがなものか。

もうおわかりだろう。結局は

※この情報ページはワールドファミリー株式会社の提供で産婦人科デビュー.COMが取材・ページ作成いたしました。

こういうことだ。

べつに科学的根拠に乏しいからといって、胎教に意味がないとか、胎教グッズを買ってはいけないなどと主張するつもりはない。たとえ裏付けがなかったとしても、胎教の効果の確からしさと胎教に費やすコスト等を天秤にかけて判断するのであれば、どのような選択であってもそれなりに合理的な判断だと言えるだろう。ただし、そのためには効果の確からしさをできるだけ正確に見積もらなければならない。そのためには、情報がしばしばコマーシャリズムによって歪められていることに気を配る必要があるだろう。

( 追記:ここでとりあげたように、科学的根拠が薄いにもかかわらず、科学的に証明されたかのような表現を用い、体験談と組み合わせて、特定の商品が効果があるかのように錯覚させ、購入するよう誘導するという手法は、いわゆるバイブル本商法に極めてよく似ている。昨年摘発されたアガリクスのように薬事法違反に問われるわけではなく、死亡例などの実質的被害が出るわけでもないのでさほど大問題にはならないかもしれないが、摘発の危険性が少ない分かえって悪徳業者の参入の余地があり、金銭的被害は今後増加するかもしれない。)

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2006年6月 1日 (木)

ハードディスク受難

最近ハードディスクが頻繁に壊れている。
4月にはデスクトップパソコンの内蔵ハードディスクのデータが破損し、今月には携帯型外付けハードディスクがアクセス不能になった。どちらもバックアップをとっておいたので事なきを得たが、元の環境に復帰させるのにだいぶ時間をとられた。
そんな騒ぎが一段落したら、今度はDVDレコーダーが壊れてしまった。購入して2年が過ぎており、保証期間外だったので、サービスマンにきてもらって見てもらったら、内蔵ハードディスク交換とのこと。修理費用があまりにも高いようなら買い換えるか、頑張って自分でハードディスクを交換するか、などと考えていたら、意外に安い修理費を提示されたので、交換してもらうこととなった。カカクコムで調べたところ、ハードディスク(同等品)の最安値と同じ程度の値段。出張費や工賃も考慮すると絶対赤字だよなあ。修理に関しては赤字覚悟ってことなのだろうか。
しかし、ハードディスクの中身を失ったのはショックだった。バックアップをとっておきたいところだが、DVDにコピーするにも結構な量なのでメディアのコストがかかるし、コピーワンスだとハードディスクに置いておけないし・・・パソコンのハードディスクにコピーできれば比較的割安なんだが、それも著作権の関係でなかなか難しい。結局データが消えるのを覚悟で撮りためておくしかないのが現状。なんとかならないものか。
余談だが、ハードディスク付きDVDレコーダーをDVDレコーダーのカテゴリーに入れるのはいかがなものか。記録媒体としてハードディスクよりもDVDをメインに使っている人ってそんなに多くないんじゃなかろうか。しかも現在の主流はハイビジョンレコーディングになっており、その記録先としてDVDは使えず、ハードディスクのみになっている。DVDレコーダーとしてよりハードディスクレコーダーの方が実態に即しているような気がするんだが。

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