2007年1月 1日 (月)

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ポリシー

不確実性のもとでどのような決定を下すべきか(1)
不確実性のもとでどのような決定を下すべきか(2)
よりよい選択のために(1)
よりよい選択のために(2)
環境問題に正解はない

地球温暖化FAQ

地球温暖化FAQ:海面上昇は本当に起こる?
地球温暖化FAQ:温室効果ガスのほとんどは水蒸気?
地球温暖化FAQ:二酸化炭素の発生はほとんどが自然界からのもの?
地球温暖化FAQ:二酸化炭素と温暖化は因果関係が逆?
地球温暖化FAQ:二酸化炭素濃度の上昇と温暖化は一致しない?

地球温暖化問題

地球温暖化理論とそれへの批判の論理的構図
議定書目標、疑ってみるのはいいことだが
懐疑論に反論記事が出た
温暖化懐疑論者の再反論が出たよ
気温変動の現状について:温暖化論の中での位置づけ
氷河の後退が示すもの、示さないもの

土・水・大気汚染

エチゼンクラゲと中国産野菜の意外な関係
船底塗料がサンゴに悪影響を及ぼす?
船底塗料脅威論へのアンチテーゼ

トンデモ

「夢の暖房機」大爆発
EM(Effective Microorganisms、有用微生物群)の評価
世界に広まる「水からの伝言」
真光元事件:死亡した患者の両親が提訴

日常

プリウスがアメリカで売れている理由
天皇家の継承問題に科学の濫用をみる
イルミネーション批判に思う
ハイブリッドカープリウスのおトク度チェック(1)
ハイブリッドカープリウスのおトク度チェック(2)
エコカーへの買い換えのベストタイミング:CO2編

科学

うるう秒がなぜあるのか
うるう秒の時報を聞く
呼吸の定義とは

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テクノラティプロフィール

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2006年8月28日 (月)

1ヶ月検診&お宮参り

誕生してはや1ヶ月を過ぎたので、1ヶ月検診へ。何も問題がなさそうだったので妻と義理の母にお願いしたのだが、何も問題ないとのこと。よしよし。これで夜泣きが無ければなあ。産まれてすぐはほとんど泣かなかったのに、最近は夜中に2-3時間ほど泣き続けたりする。おかげで生活のリズムが不規則だよ。

そして、週末はお宮参りへ。母の手縫いの祝い着でおめかししてお祓いをしてもらう。妻と娘はまだ実家にいるので、実家近くのお寺へ。お宮参りは神社へ行くものだと思っていたが、妻の実家の地域ではお寺にお参りするのが一般的らしい。

その日は両家の両親と、また別の日には妻の親戚一同と顔を合わせたわけだが、いつもはぐずっている娘もどういう訳か人前ではすこぶるおとなしい。おかげで「とてもいい子」との評判を手に入れたようだ。お願いだからパパの前でもおとなしくしていてくれ。まあ週末しか会わないのでまだマシな方ではあるが。

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2006年8月24日 (木)

夏休み八ヶ岳山麓紀行(2,3日目)

2日目は清里へ。まずは美し森で軽く展望台まで歩く。どうも以前に妻と来ていたようだが、すっかり忘れていた。どうも私はこういうことに関しては忘れっぽいたちのようで、いつも妻に怒られるのだが、今回はどうも妻も忘れていたようだ。ブログに書いておけば備忘録代わりになるだろうと思って書いている。

展望台からはチーズケーキを食べるためにもう少し歩く。だが、ホテルの喫茶室で出てきたのは少し凍った感じのシャリシャリ感があるものだった。なんだかちょっとがっかり。

リベンジのため、今度はソフトクリームで有名な清泉寮へ。混雑時には行列ができると言われているが、私が買ったときは並ぶほどではなかった。こっちはさすがに並ぶだけあって美味であった。

次は清里駅近辺でレンタサイクルを借り、サイクリング。サイクリングとは言っても、わずか2kmそこそこの距離で400mの高低差がある激烈な上り坂をひたすら登るという自虐的なものだった。正直疲れたよ。まあ毎日の自転車通勤が功を奏してトップ到着だったが。帰りは帰りでスピードが出すぎて怖かったし。

レンタサイクルを返却した後は帰京する友人を送りに小淵沢駅へ。特急が止まり、いろいろなスポットを擁する駅なので、都会的な駅を想定していたが、意外に田舎っぽい駅なのでびっくり。

友人を送った後はリゾナーレでランチ、ウィンドウショッピング、そしてカフェ。なるほど、都会的でかつリゾートな感じだが、なんとなくバブルの雰囲気が残るのは気のせいか。

最後はアウトレットモールへ。昼間はだいぶ混雑するそうだが、夕方に行ったせいかそれほど混んではいなかった。そんなに大きくはないが、緑がふんだんに存在して雰囲気はいい感じであった。

3日目は1日目にも行った八ヶ岳自然文化園でマレットゴルフ。最後まで競っていたけど最終ホールで負けてしまった。

なんだかこうやって書いていると競ってばかりだな。高校からのつきあいだが、いつもこんな感じだなあ。

なんにせよ、楽しい夏休みであった。

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2006年8月21日 (月)

夏休み八ヶ岳山麓紀行(1日目)

先週は夏休みをとって友人たちと八ヶ岳周辺へ。妻と子どもはお留守番。

昼前に集合して茅野駅前で蕎麦を食べる。混んでいてなかなか出てこなかったが美味であった。

ペンションに移動した後、八ヶ岳自然文化園へ。高原だけあって晴れているのにそこそこ涼しい。まずはプラネタリウムを観ることに。疲れていたのか、爆睡してしまった。

次はグレステンスキーに挑戦。要は前後に車輪のついたスキーだ。これまでのグラススキーなんかは横滑りがなくて感覚が通常のスキーと違っていたらしいが、このスキーはプルーク(ハの字)も一応出来て、割と通常のスキーに近い感じ。ただ、スピード耐性はあまりなくて、スピードを出した状態でハの字にしたら引っかかりを失って転倒、アゴに擦り傷を負ってしまった。友人たちも経験者揃いだけあって、なかなか上手に滑っていた。

1時間ちょっとしたところで疲れてきたので、宿へ。バーベキューの食事を取った後、温泉「もみの湯」へ。泉質はなかなか良いし、料金も安い(17時以降は300円)なので、かなりトクした気分だ。

ペンションに戻ったら、食堂では懐メロが歌われている。どうやらこのペンションのマスターがそれ系の人らしい。奥さんもピアノを弾いていた。お客さんも年配の方が多く、みんなで歌っていた。雰囲気は、どうもカラオケ大会と言うよりは歌声喫茶といった雰囲気だ。若輩者の我々はそれをBGMにしながら、別室で恒例のカタン大会へ。友人同士が集まるとたいていこれをやる。3戦して1勝も出来ず。残念。

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2006年8月 8日 (火)

「温暖化懐疑論者」による当ブログの評価

いつものように"hechiko"でググっていると、いわゆる「温暖化懐疑論者」(この括りでいいのかどうか疑問ではあるが)のサイトがヒット。

で、当サイトについて何か書いてあるのか見てみると・・・

これらのサイトでの共通の認識を一つ挙げるとするならば、
気候再現実験が『人為起源の温室効果ガスが急激な温暖化をもたらすという説』の根拠になると、たぶん本気で思っていることです。

うーん、気候再現実験が『人為起源の温室効果ガスが急激な温暖化をもたらすという説』の根拠になるとは書いた覚えがないけどなあ。「気候再現実験によれば人為起源の温室効果ガスが急激な温暖化をもたらすと予測されている」くらいは書いたような気がするが。

詳しい中身については・・・まだ読んでません。たぶん、読みます。そのうちに。

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2006年8月 7日 (月)

「素人が判断するのは馬鹿か」への返答

五月兎の赤目雑感中西批判の整理に対するコメントがなされていたが、どう返せばいいのか考えているうちになんだかドツボにはまってしまったので、まとまっていないがとりあえず何か書いておこう。

「素人が判断するのは馬鹿か」とのタイトルでもわかるように、疑問を呈する行為自体が馬鹿だと言ってしまうのはどうか、というのが主題のようだ。そして次のエントリ「コレステロールは高いほうが病気にならない というのは真理かトンデモか」ではその例題(のようなもの)を提示している。

うーん、確かに「素人が判断するのは自分の能力を過信した馬鹿の所業だよ」とは言った。しかし、それはたとえば「説得力があると思った」という判断までも否定したかったわけではない。もしそうなら、「ピアレビューをどの程度信用すべきか」で

もし私が中西氏だったらこう判断するだろう。

「確かに槌田説には説得力があるように思える。しかし専門家のピアレビューによると学会誌で公表するに値しない説のようだ。私には納得しがたいが、私は温暖化のメカニズムについて勉強したことがないしろうとである。ピアレビューが間違っている可能性はそれなりに留保しつつ、とりあえずは専門家の言うことを信用しよう」

と言ったことまで否定しなければならなくなってしまう。

じゃあいったい何を否定しているのか?と聞かれると答えるのがなかなか難しい。

現時点で答えるとするなら、「自分の思考について適切なメタ思考ができていないこと」とでもなるのだろうか。

「槌田説は説得力がある」「コレステロールは高いほうが病気にならないというのは説得力がある」というのはその説自体の真偽を別にすれば、そのように考えること自体はまあいいだろう。だが、この自分自身の判断と他者(専門家)の判断が比較されなかったり、あるいは比較されても適切に処理されなかったりといった不適切なメタ思考(この用語が適切かどうかちょっと怪しいが)が問題だ、ということになるのだろうと考えている。

素人が判断するのはいいだろう。だが、それが素人の判断に過ぎないことは自覚しておいて欲しいと思う。

また、素人が何らかの提言をするのも慎重にならなければいけないと思う。司法制度がおおむね正しく運用されてきていることを認知しておきながら、そのシステムのルールを逸脱してまで「彼は冤罪だと思うので再審すべきだ」などと主張するのはおかしいと思う。そのルール自体に問題があると主張したり、ルールの範囲内で主張する分には構わないと思うけれど。中西も「学会やあらゆる紙面、テレビ等は両方の意見に対して開くべき時と思っている」とまで書かなければ、そんな批判はされなかったように思う。最低限のチェック(ピアレビュー)を経た結果でなければほとんど考慮に値しないと考えるのが現代で確立されたシステムであり、それを中西が受け入れているのであれば、学会等に対してものを言うのではなく、槌田に対して「何が何でもピアレビューを通して論文にすべきだ」と叱咤激励すべきだったろう、自分がかつてそうしたように。それだったらたいした問題ではなかったのになあ。

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2006年7月19日 (水)

イリーナ博士講演の大本営発表

いろいろなところで物議を醸しているイリーナ博士だが、どうやら私の地元でも講演を行っていたそうだ。さすがに私は行けなかったが、先日主催者側からの発表があったので引用する。

この写真を見る

まあ予想したとおりの大本営発表であった。発行元のつくば・市民ネットワークは生活クラブ生協を母体とした政治的な団体のようだ。幻影随想のイリーナ博士東京公演レポートコメント欄を読むと、生協全てがこのような活動を支持しているわけではないということのようだが、これでうちの地域の生協が黒いことは確認できた。

報告されたデータの問題点については上記幻影随想の記事や松永和紀のアグリ話●「科学」の名に値しない遺伝子組み換え毒性試験(1)「科学」の名に値しない遺伝子組み換え毒性試験(2)ロシア人科学者の遺伝子組み換え毒性試験を総括に譲るとして、今回はこの報告を読んだ感想をいくつか書こう。

日本を含め多くの国で安全性を承認されている除草剤耐性の遺伝子組み換え大豆の摂取が、ラットの出産や子どもの成長に影響を与えた

まあそうなるのであろうな、主催者側から見たら。自分たちの主張に都合のいいデータなら実験の信頼性などどうでもよいのだろう。

同じような実験を他の研究者にも実施してほしいと何度も述べていました。

こんなずさんな実験はできないし、やろうにも実験条件が明らかにされていない(本人すらわからない)し、仮にまともに試験をしたとしても「条件が違う」とか難癖つけて終了の予感が。

沢山の質問が出ましたが、時間の関係で全ての質問に答えることは出来ませんでした。後日、つくば・市民ネットのホームページで回答を掲載する予定です。

松永氏によれば質問は事前に主催者側によって取捨選択されていたようだ。となると、主催者側に都合の悪い質問が選ばれなかったというのもうなずける話だ。答えられなかった質問は後日回答されるようなので、全ての質問に答えているかどうかを含めて、ワクワクテカテカしながら待つとしよう。

(追記:イリーナ博士の論文はこちらで読むことができる。論文とはいってもシンポジウムでの発表だからどんなデータでも言いたい放題。)

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2006年7月18日 (火)

出張中・・・

出張とは言っても、お仕事しているわけではなく、単に環境ホルモン濫訴事件:中西応援団におじゃましているだけ。意外に(でもないか)話が伸びているので、更新がままならなくなっています。ご容赦を。

娘の方は順調です。週末一緒にいたけれど、日ごとに成長がわかる。すごいね。

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2006年7月12日 (水)

中村 政雄「原子力と環境」を読む

中西準子のホームページの雑感349-2006.6.13「原子力発電と温暖化」で前回まで話題にしていた槌田敦「CO2温暖化説は間違っている」と並んで取り上げられていたので読んでみることに。

アマゾンのブックレビューを見てみると、

あわせて買いたい
原子力と環境』と『CO2温暖化説は間違っている』、どちらもおすすめ!

となっていた。これって中西効果?

それはともかく、内容はというと、

第1章 ある環境活動家の変貌

第2章 石油文明の終わりと地球温暖化

第3章 資源小国・日本のおかれた立場

第4章 過密社会化する世界のゆくえ

の4章立てとなっている。

著者の言いたいことを簡単にまとめると、「エネルギー的にも環境的にも日本は原子力抜きではたち行かなくなるだろう。」というもの。その論調は、率直に言わせてもらえば、翼賛的で偏向しており、信用するに足りない。原子力のメリットはこれでもかとばかりに強調する一方、デメリットであるはずの安全性の問題については

 実験の失敗ばかりが大きく報道された。成功は小さく一度きりしか報道されない。これでは正しいイメージが世間に伝わらないはずだ。

p112

などと、原子力関連の報道に偏りがあるということだけを主張するにとどまり、実際の安全性はどうなっているのかについての言及はほとんどなされていない。また環境問題についても

 地球温暖化による気温上昇は、今後100年間に平均で2度前後と予想されている。温暖化は100年で終わるわけではない。南極と北極の気温は平均値の4倍くらい上がるから、200年後に平均で4度上昇すれば10数度の気温上昇となって、南極の氷は一部溶け出すだろう。全部溶ければ海面は60メートルくらい上昇するそうだから、いずれ東京もニューヨークも海に沈んでしまう。

p81-82

などと危機をあおるような書き方をしている。100年後に平均2度、極地で4倍ってのが正しいとして、200年後に4度って正しいの?単純にそれも極地で4倍していいの?よしんば南極の氷が溶け出すのがただしいとして、全部溶けるなどというありえない仮定で東京もニューヨークも海に沈むなどという予測を行うってのは「環境の危機ばかりが大きく報道された」ことにはならないの?

私は原子力政策について詳しくもないし、賛成でも反対でもないけれど、このように自分に都合のいい部分を強調し、都合の悪い部分は無視するような偏向した姿勢をとる論者の意見は信用するに足りないと考える。

また、一冊の本としての完成度もあまり高くない。

「原子力と環境」というタイトルではあるものの、原子力と環境の関連性について論じるのではなく、原子力問題と環境問題(その他エネルギー問題等)それぞれについて書かれるのみで、話題が拡散している。しかもその論じ方が「日本特有の多神教が世界強調に貢献する」などといった苦笑ものの持論か、使い古されたお話ばかりでまったくと言っていいほどためにならない。第4章など「過密社会が育てた日本の知恵と文化」など日本礼賛で、ほとんど関係ないように思える文章がズラリと並ぶ。まあ記者としてこれまで経験したエピソードくらいか、役に立ちそうなのは。

もっとも、ところどころ織り込まれるトンデモエピソードはウォッチャーを楽しませてくれるだろう。以下、その一部を紹介する。

ムーア博士は原子力推進に転向したが、グリーンピースそのものの反原発の姿勢は変わらないという。「なぜなら、彼らの主張は宗教のようなものだ。捕鯨反対もそうだ」と語った。それは原理主義の一神教の世界の産物だ。世界は多神教が共存、強調する時代に移りつつある。身勝手な一神教の論理を振り回すのは時代遅れだ。

p23

一神教=原理主義かよ。そりゃ原理主義は身勝手で迷惑だけど、一神教が全てそういう性格を持っているわけではないだろ。

 日本の技術援助で外国の火力発電の効率が上がったら、それも日本がCO2を減らしたことに勘定する共同実施やクリーン開発メカニズムもまやかしである。たとえば中国が日本の技術で火力発電所を増やすと、どんなに熱効率のいいものであっても、中国のCO2排出量は増えるのに、日本は旧式の中国の火力発電との排出量の差を減らしたと勘定するのがこの制度だからである。

p40

火力発電所の建設前と後でCO2排出量を比較してどうする。クリーン開発メカニズム有り無しでの比較だろ。

 もっとも好ましい解決方法は、人口が減ることだと思う。

(中略)

 天の配慮によるのだろうか、日本では将来の人口減少が予想されている。すでに2005年から、死んだ人の数が生まれた赤ちゃんの数を上回る、自然減の時代に入った。

 政府も国民もこの傾向に賛成かと思ったら大反対のようだ。少子化が続けば国力は低下する。(中略)人口の減少を気遣う気持ちは理解できる。

 では人口は増えるのがいいか。増え過ぎて、食えない人が大勢発生すると戦争の原因になる。それでいいのか。

p45

この人の頭の中には増えるか減るかの2つしかないのだろうか。なぜ人口増でも超少子化でもない「ゆるやかな少子化」という選択肢が浮かばないのだろうか。

近年、省エネルギーと資源循環型の社会として、江戸時代を礼賛する風潮も生まれた。資源の乏しい日本でも、江戸の時代の暮らしの精神を生かせばなんとかなると思う人が増えた。しかし、この考え方はかなり間違っている。

 日本は資源の乏しい国ではなかった。資源がなくて、国の経済が立ち行くわけがない。佐渡をはじめ日本の各地に金鉱山があった。(後略)

p48

そりゃ資源の意味が違うだろ。資源循環型の資源は物質、原材料としての資源。金鉱山なんかの資源は資産としての資源。

 平均寿命が50年のときには、嫁姑の関係は10年間だった。20歳で嫁に行ったとして、その時姑の平均年齢が40歳。10年すれば姑は平均寿命に達したからである。平均寿命が30年延びた結果、嫁姑の関係も30年延びた。

 昔の嫁姑の関係は、嫁が若いときの10年間だったから我慢ができたという面もある。40年間も同じ家に嫁と姑が同居していたら、昔には考えられなかったようなトラブルも生じる。

p74-75

平均寿命と平均余命の区別もつかないようだ。40歳の人間があと何年生きるかの計算には平均寿命ではなく平均余命を用いなければいけない。でないと、50歳の人間はすぐに死んでしまう計算になってしまう。統計によると、平均寿命が50年のとき(昭和10年)、40歳の平均余命は30年。20歳で嫁に行ったとして、嫁姑の関係は30年。平均寿命が80年のとき(昭和60年)、初婚年齢も遅れているから25歳で嫁に行ったとして、50歳の平均余命=嫁姑の関係は約32年。ほとんど変わっていない。だいたいこの人平均寿命が50年の時代に生きていたはず(1933年生まれ)なのに、どうして40歳の人があと10年しか生きないなんて思っちゃったんだろう?

しかしまあ、よくこんな文章を書く人が前作の『原子力と報道』でエネルギーフォーラム賞特別賞を受賞できるもんだ。

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2006年7月11日 (火)

中西批判の整理

ピアレビューをどの程度信用すべきかにTBが来たし、まだ書き足りない部分もあったので、今回は少し問題を整理し、何を問題にしており、何を問題にしていないのかを明確にしてみよう。

どうも今回の中西氏の言動は、たとえて言うなら「過去冤罪の被害にあった人が、冤罪を主張する犯罪者(実は真犯人)の手記を読んだだけで冤罪だと信じちゃった」という構造に近いであろうと思う(べつに槌田氏が犯罪者であるとか犯罪行為をしていると言っているわけではない、念のため)。

まずは、何を批判していないのかについて語ろう。ピアレビュー制度がときには異端排除という誤った行為を行ってしまうという指摘は、一般論としては正しい。また、中西氏がピアレビューについて何らかの提言を行ったとしても、それはべつに咎め立てするような類のものではないだろう。私は中西氏の一連の発言で信用を落としたと思っているが、だからといって中西氏がピアレビューについて何らかの提言をしたとしても、そのこと自体は構わないと思う。また、その中身についても私は特に否定的ではない。実行するうちに問題が出てくるかもしれないけれど、それに対する批判等はまた今回の話とは別個に議論されるべきだろうと思う。

では何を批判しているかというと、中西氏がピアレビュー制度を正しく運用していないことに尽きる(槌田論関連はさておき)。だいたいピアレビュー制度ってのは、専門的な知識を有しない人でも科学的仮説を評価できるように、その人に成り代わって別の専門家が評価する制度なんだから、程度問題はあれ、レビューアーを信用しないとピアレビューの意味がないのだ。異端論排除に使われるとか、レビューアーが時折過ちを犯すなんて織り込み済みの上で、それでも信用しないといけないのだ。だって、素人がレビューアーの判断が間違っているかどうかなんて判断できるわけないでしょ?たとえ専門家が間違うことがあったとしても、素人が判断するよりはましだからこそピアレビュー制度の価値があるわけでしょ?

実際、ピアレビュー制度を信用するかどうかを恣意的に判断することによってピアレビュー制度のニセ科学排除という機能が失われてしまうことは、今回の中西氏自身の言動がはっきりと証明している。彼女は素人である自分がレビューアーの判断が間違っているかどうか判断できるというカンチガイを犯したのだ。しかも素人なら誰でもできるというのではなく、自分だけには判断できるというカンチガイだ。

ピアレビュー制度の欠点を指摘するのは結構。でもそれをたてにとって「この問題はレビューアーは正しい判断をしている」とか「この問題はレビューアーは間違った判断をしている」とか素人が判断するのは自分の能力を過信した馬鹿の所業だよ。

中西氏がピアレビュー制度の欠点に直面してきたという事実はあるだろう。でも結局はそのシステムから逸脱することなく、きちんと手続きを踏んでここまで来れたんだから、言われているほど致命的な欠点ではないのだろうと思っている。

これまで環境問題、ひいては科学界に多く貢献してきた中西を馬鹿と呼ぶことに多少抵抗はあるけれど、たとえ相手が誰であれ、馬鹿なことを言ったら馬鹿にされても仕方がないと思っている。でないと、これまで斬ってきた馬鹿に対して申し訳がたたない気がするのだ。

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